「ウェルビーイング」という言葉を、よく目にするようになった。言葉の定義自体はまだ完全に定まっていないとはいえ、人間らしさや自分らしさを考えるうえで重要な概念であることは間違いない。今回はウェルビーイングの研究者であるドミニク・チェン氏を招き、ウェルビーイングの実現とテクノロジーの有用性について考えた。
2014年11月、米・The MIT Pressから『POSITIVE COMPUTING~Technology for Wellbeing and Human Potential』が出版された。その日本語版が『ウェルビーイングの設計論~人がよりよく生きるための情報技術』、ドミニク・チェン氏と渡邊淳司氏が翻訳を監修した。
情報技術とウェルビーイングの関わりを説いた書物の紹介から話を始めたチェン氏、自らもストレス可視化デバイス『Spire』を2年半前から装着していると明かした。Spireは1分間の呼吸・心拍数を計測し、呼吸から推測されるストレス状態をアプリが判定してくれる。
「このデバイスは緊張している時に深呼吸を促してくれるなど、無意識の体の状態への感度を高めてくれました。しかし、同時に、体の状態についてアプリに依存している自分に気がつきました。自分は今はたして正しく呼吸できているのだろうかと、常にスマホの数値をチェックすることに疲れてしまったのです。」
この言葉に象徴的に示されているのが、機械と人間の動的な関係性である。急速に進化する情報機器、いわゆるスマートデバイスは人を幸せにするのだろうか。
仮に食事内容をセンサーによって、逐一モニタリングするようなフォークやナイフが発明されたとしよう。食事をするたびに食材や調理法が常にチェックされ「その食べ物は健康によくありません」などとアラートされる食事が楽しい、とは決して思えない。
「ユーザーの利便性を考え、健康のために良かれと開発されたデバイスにより、ユーザーの自律性が阻害される。そんな事態を招いたりすれば、それこそSINIC理論でいう『最適化社会』から『自律社会』への移行がスムーズに行かなくなりかねません。こうした点まで配慮する姿勢が、ウェルビーイングのためのシステム設計では必要でしょう」
ウェルビーイングをシステマティックに考えるのであれば、まずその意味を正確に定義する必要がある。例えばマーティン・セリグマン(ペンシルベニア大学心理学部教授)は、ウェルビーイングを次の5つの因子『人間関係・達成観・ポジティブ感情・人生の意味・没頭』によって評価した。最近では自己・社会的・超越的と3つのカテゴリーを設定し、それぞれサブカテゴリーを設定してウェルビーイングをよりきめ細かく捉えようとする動きもある。
「ただ実際のところ、これを満たせば万人にウェルビーイングがもたらされる、といった統一見解や簡単な方法はまだ存在していません。だから様々な考え方が提唱され、研究論文が急増しているのが現状です」
定義が定まっていないながらも、なぜ今ウェルビーイング研究が盛んに行われているのか。
「背景として考えられるのは、人類共通の大きな疑問です。20世紀を通じて文明は飛躍的に発達しました。けれども、その結果として人類はより幸福になったのでしょうか」
例えば日本での調査結果によれば、1960年代からGDPは右肩上がりに伸びているものの、生活満足度はずっと横ばいのままだ。アメリカでの『well-being』調査の結果も、平均線でみれば横ばいもしくは若干の低下が見られ、イギリスやドイツも然り。
「テクノロジーが進化すれば、人類は幸福になる。そんな単純な世界観が、少なくとも肯定できない状況が明らかになっています。だから改めて、ウェルビーイングを科学的に問い直す機運が高まってきた。それがこの20年ぐらいの動きです」
思い当たる節はたしかにある。情報技術の飛躍的な進歩は、知的生産性を大幅に向上させる一方で、超接続社会が様々な問題を引き起こしている。SNS疲れ、ネット炎上、ネットいじめ、フィルターバブルなどは、情報技術に人間が引きずり回されるようになった結果、発生した問題だ。電車に乗れば、誰もが同じようにスマホの画面を見つめている現状、これが果たして望ましい情報社会の姿といえるのだろうか。
「例えばフィルターバブルとは、行動履歴に基づいて情報がレコメンドされるために、注意対象が狭まる現象です。その結果、個々人の現実像から多様性が失われ、非寛容と断絶が生じてしまう」
あまり知られていないが、仮に同じ用語で検索しても、Googleは個人に最適化された情報を返してくるため、表示される検索結果は異なる。そうした現状をよく知るシリコンバレーのエンジニアたちは、自分の子どもにはスマホを持たせないようにしている。そんな記事が2018年2月、『BUSINESS INSIDER』に掲載されて話題となった。ITに詳しい人ほど、スマホの悪影響に自覚的なのだ。
では、テクノロジーには負の側面しかないのかといえば「それは違う」とチェン氏は反論し、10年以上前に氏の会社が立ち上げた匿名掲示板の例を挙げた。
「誰かがつらい体験やへこんだ話を書き込むと、それを見た誰かが励ましのメッセージを送る。励ました人には“ありがとうポイント”が送られるシステムとなっています。といってもポイントを集めれば、なにかがもらえるというわけではありません。ところがこの掲示板を公開すると、新規ユーザーが殺到しました。ネット上の匿名掲示板でも、見知らぬ人同士がひたすら優しく関係しあえるのです。サイトを運営し始めて数年後にウェルビーイングという概念を知ったのですが、なるほどと考えさせられました。要はテクノロジーの設計次第で、ウェルビーイングを実現できる可能性がある。そこで始めたのが『日本的Wellbeingを促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及』プロジェクトです」
そもそもWellbeingはアメリカで生まれた概念である。これに対してチェン氏らのグループは『日本的Wellbeing』を探求する必要性を提唱する。
「西洋のWellbeing理論は、個人主義に寄り過ぎているのではないか。そんな疑問が出発点となり、日本文化では他者との関係性がより重要と考えたのです。ヒントを与えてくれたのが、『心臓ピクニック』というデバイスです」
『心臓ピクニック』とは、コンパクトマイクが埋め込まれた聴診器と振動スピーカー(心臓ボックス)をセットにした機器だ。聴診器を胸に当てると、計測された鼓動が心臓ボックスから出てくる音と振動で表される。そのため心臓ボックスを手に持っていると、まるで手のひらの上で自分の心臓が脈打っているように感じられる。
「2人1組でこの心臓ボックスを使い、目の前の人の心臓の動きを自分の手の上で感じるワークショップを開催しました。そこでは“まるで相手の心臓を自分の手で握っているような”とても不思議な感覚が生まれました。このときの参加者は、“赤ちゃんを授かった時を思い出す”とか、“人に対して優しい気持ちになった。これをみんなが体験すれば、凶悪な殺人事件などなくなるのではないか”、さらには“電源を切るのが切ない”と話す人もいました。単純な機械がもたらす、ある種の生命性に触れた結果、感情移入してしまうようです」
心臓ピクニックを応用して、チェン氏らはもう一点、ユニークなデバイス『心臓祭器』を開発している。これは世代を超えて家族の心音を重ね合わせ、生者が死者を偲ぶインターフェイスとして機能する。家族の心臓鼓動をデータとして記録しておき、その人が亡くなった後に、死者のデータに自分の心臓の鼓動を重ね合わせて、手の上で感じとるのだ。そのとき何が起こるのか。
「彼岸と此岸、あちら側とこちら側が自分の手のひらの上で触覚を通して重なり合うのです。心臓祭器を仏教や神道の指導者に見せて意見を求めると、新しい祈りの形として普及させるべきだと賛同してもらいました。現代社会では死について語られる機会が減ってしまい、死に方を見失ってしまった人が増えている。亡くなった人の鼓動を直感的に思い出せば、自分が生きている実感も確かめられるのではないかと」
これは日本古来の作法『見立て』の一種とも考えられる。亡くなった人の鼓動というミニマルな情報を触覚を通して伝える、そこに生きている人が自分の主観を投影する。こうした日本的なやり取りも踏まえたうえで、チェン氏らが想定するウェルビーイング型設計の価値基準は、今のところ次のような形に集約されている。
最後にチェン氏は、あいちトリエンナーレ2019に出展した『ラストワーズ/タイプトレース』について語った。この展示で使われたのは「TypeTrace」と呼ばれるソフトウェア。TypeTraceは、キーボードを打つタイミングや文字削除などテキスト入力時の全プロセスを記録・再生する。入力時に、一つの言葉を打ち込んだ後、次の言葉を打ち込むまでの時間に応じて文字のサイズが変化する。
例えば「私は」と入力し、しばらく考えて「君が大好き」と打ち込んだものの、さらに思い直して「君が大好き」を削除し、ただ「愛している」とだけ打ち込んだとしよう。すると「愛している」がとても大きく表示される。
「その人が、どのような思いで文章を書いたのか。テキストに込められた思いの強さが視覚化されるのです。以前、これを使って作家の舞城王太郎さんに新作の小説を書いてもらい、その様子をスクリーン表示するインスタレーション作品を展示しました。会場には連日、彼のファンが集まり、何時間もじ~っとスクリーンを見ている。彼らは“作家の息遣いを感じる”とか“相手の気配を感じる”と言っていました」
あいちトリエンナーレの会場では、来場者に『10分遺言』を書いてもらい、その様子を表示した。スクリーンに表示される遺言には、書き手がその時点でもっとも大切にしている思いが表現される。
「遺言に表現されるのは書き手にとってなにより大事な価値観です。ここに、その人にとってのウェルビーイングの因子が現れる。それを表現するプロセスを第三者に見せる、書いている途中の文章とはすなわち不完全な自分です。文章としてまだ完成していないテキストを目にし、しかも書き手の息遣いまでを感じると、受け手のイマジネーションは自由に膨らんでいく。そのとき、単なる無味乾燥なデジタルテキストでは決して感じ取ることのできなかった『感情移入する余白』が生まれるのです」
チェン氏の実験的な取り組みが教えてくれるもの、それは情報機器を介在させることによって、心と心の通い合うコミュニケーションが生まれる可能性だ。テクノロジーは使い方次第で、未来のウェルビーイングを実現するツールとなりうるのだ。
PROFILE
ドミニク・チェン氏
1981年生まれ。博士(学際情報学)。NPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン理事、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文化構想学部准教授。一貫してテクノロジーと人間の関係性を研究している。公益財団法人Well-being for Planet Earth理事、NPO法人soar理事も務める。 近著に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮社、2020)がある。その他の著書として、『謎床―思考が発酵する編集術』(晶文社、2017)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック―クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』(フィルムアート社、2012)など多数。監訳書に『ウェルビーイングの設計論―人がよりよく生きるための情報技術』(ビー・エヌ・エヌ新社、2017)など。
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