2019.03.01
カリフォルニア大学ロサンゼルス校・津川 友介助教授
科学的な研究成果に基づく健康的な食生活の紹介でベストセラーとなった『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』を著した津川友介氏は、医療政策学・医療経済学の研究者である。超高齢社会に突入した日本にとって、喫緊の課題は医療制度の持続可能性に尽きる。逼迫する国家財政の中で日本の医療を維持するために、何をすればよいのだろうか。
医療の世界では、1990年代から「Evidence Based Medicine(EBM:根拠に基づく医療)」が言われるようになりました。それから約20年が経ち、実態はどうなったでしょうか。EBMに関するアメリカにおける有名な研究によると「医学的なエビデンスに基づき、最適もしくは適切な医療が行われている割合は、全体の50~60%にとどまる」と報告されています。いかに医学が進歩し、エビデンスの集積により症状ごとに適切な医療が明らかになっていても、それを正しく受けられなければ、患者さんは恩恵を得られません。
なぜEBMが期待通りに広まっていないのでしょう。私もキャリアのスタートは臨床医であり、毎日患者さんを診ていました。そのころ感じていたのが制度の歪みです。
もちろん医師も看護師も人を助けたいと思って仕事をしています。けれども、あまりに仕事がハードで睡眠も満足に取れなかったりすると、自分自身がハッピーではなく、結果的に患者さんに対する優しさに欠けることもあり得ます。誰かが何らかの悪意を持っているわけでは決してないのです。けれども現実問題として治療の現場がうまく機能しないのは、制度設計上のどこかに問題があるのです。この問題を何とか解決したいと思い、アメリカで公衆衛生学を学び、続いて医療経済学に進みました。
エビデンスに関していえば、日本では医療政策に関する議論も根拠に基づいて行われているとは言い難いのが実状でしょう。超高齢社会に突入し団塊の世代が後期高齢者入りする2025年が目前に迫っています。いま準備しておかないと、10年後に日本の医療は大変な事態に陥ります。
私がアメリカに来たのは2010年です。この頃日本ではまだ、医療経済学や医療政策学はそれほど注目されていませんでした。けれども、ここ2~3年で急にクローズアップされてきたように感じます。現状のままでは日本の医療制度は持続不可能だと感じている人が、ここ10年で多くなっているのだと思います。医療制度を維持するためには、早急に何らかの改革が必要だと私は考えています。
日本では未だに「護送船団方式」と呼ばれた高度経済成長時代のスキームのままなのではないでしょうか。自ら世界の先陣を切ろうとするのではなく、国主導でどこかから見本となる事例を見つけてきて、徹底したリバースエンジニアリングで追いつけ追い越せとやっていく。
一方、いま世界の潮流は技術先行型の問題解決です。国が関与するまでもなく、民間から新しい技術がどんどん生み出されて、「破壊的イノベーション」が起こり、社会課題を解決していく。もはやトップダウン型の時代ではないのだと思います。
例えばゲイツ財団は、技術による問題解決には十分な資金を提供してきています。マラリアをなくすため蚊に遺伝子操作を加える研究などは支援する。けれども最近までは医療制度改革などには関心が低かったようです。技術による問題解決とは、言い方を変えればイノベーションを起すことです。誰も想像もしなかったような技術が開発されたとき、一気に問題は解決します。誰かがどこかでやったことを真似しているようではダメなのです。
イノベーションに対するマインドの持ち方には、日本とアメリカの根本的な違いを感じます。アメリカでは、見倣うべき前例やモデルを探そうなどという考えはありません。社会課題を解決して世界を変えるのは自分たちしかいないという意気込みを持った、常に頭の中には0から1への創造しかない連中ばかりなのです。
彼の国では、社会課題解決に挑むベンチャーに対して、資金提供する投資家も数多くいます。アメリカは新しい挑戦を高く評価するヒロイズムの国であり、基本的な指向性が問題解決へのチャレンジに向けられている。これに対して日本では、ソーシャル・アントレプレナーとして立ち上がるよりも、フォローすべき海外成功事例を探すのに血眼になっているという感を否めません。
「SINIC理論」では、自律社会への移行が予言されています。確かに今後はAIの進化により、健康に関する「自律」が実現する可能性は高いでしょう。個別の症状に対して医療を施すことで健康を維持するのではなく、AIのサポートにより、知らない間に健康になっているといったイメージです。
なぜAIなのかといえば、AIを活用すれば個別最適化が可能になるからです。これまでは医療も含めて社会課題の解決では、集団を対象とした施策しか実施できませんでした。一定数以上の集団を対象としたとき初めて特定のパターンを認識でき、そのパターンへの対処法を考えられる。これが人間による情報処理の限界といえます。
ところがAIを活用すれば、処理可能な情報量の次元が変わるため、個別最適化された対応が可能となるのです。ある糖尿病患者の自宅にカメラをセッティングし、その行動を逐一モニタリングして、AIがその患者に最適な処方を提示するといったイメージです。生活習慣の改善にAIを活用できるようになれば、人は自律的に健康になる可能性があります。
ただし、人間の中には合理的判断できる人格と非合理的な意思決定をする人格が共存しています。だから合理的な人格が、非合理的な人格に打ち勝って意思決定できる環境を整備すればよいのです。タバコを吸いたいという人には、肺がんになったときの状態をあらかじめ完全に理解してもらえばよい。それでもタバコを吸いたい人を無理やりやめさせることはできません。とはいえ、仮にVRで慢性閉塞性肺疾患(COPD)になった場合の息苦しさや、肺がんになった時の苦しみを擬似的に体験できるようになれば、ほとんどの人が禁煙するのではないでしょうか。
「自律」を医師の視点から考えるなら、「健康であることは自律の前提条件」だといえます。しかし、日本では、基本的人権に生存権が入っているほど、健康の価値は重視されていますが、全ての国でそうなっている訳ではありません。アメリカの憲法では、健康状態を維持できることは基本的人権として認められていません。医療が選挙の論点でトップに来ることも稀なことです。他の国でも同じだと思いますが、政治の論点でトップに来るのは多くの場合は経済政策です。
だからといって不健康でよいという話ではありません。ハーバード大学の倫理学者ノーマン・ダニエルズは「健康はあくまでも機会平等のための前提条件」と言っています。つまり、健康そのものに価値があるというより、健康でないと平等な機会を得ることができず、それは多くの人が不公平と感じることなので、公平な機会を与えるための前提条件として健康を重要視すべきであるという考え方です。つまり「SINIC理論」に従って自律社会へと移行したとしても、体のどこかが不自由であれば幸福になれないとも言えるのです。
そこで注目されるのが「行動変容」です。医学の進歩によって、糖尿病になるメカニズムや脳梗塞になる理由は、現在これだけ明らかになっているにもかかわらず、なぜ阻止できないのでしょうか。どうすれば行動変容でできるのか。行動を変えるには何らかのインセンティブが必要だと私は考えます。
高齢化の問題では、寿命と健康寿命のギャップを減らすことが必要です。そこで考えるべきポイントはQOLです。これが大きく下がらない期間は健康寿命とみなしてもいいでしょう。腎臓病の患者さんなどは、人工透析を受けなければならないけれど、それ以外は普通に生活を楽しめる。QOLは100点満点ではないけれど、決して低くもないわけです。
QOLの維持と寿命を伸ばす方策に関して、どのようにリソースを配分するのかを考える必要があるのです。高価な抗がん剤を使って寿命を伸ばすのか、余命を受け入れてQOLを高めることにリソースを配分するのか。私はQOLを高めることだけに着目した、まったく新たな医療がでてきてもいいと思っています。こういう新分野での、スタートアップ企業や若い世代のクリエイティブな発想を大いに期待しています。
日本は高齢化に関しては、世界の最先端を走っています。この課題を解決する技術を開発できれば、世界に広く普及・展開できます。
そこで一つ考え方を変えるべき点は、データに対する向き合い方です。アメリカにいると「データはお金に変わる宝だ」ととらえるのに、日本では「データはお金にならない」という。この違いはどこから出てくるのでしょうか。
日本では、「譲る」とか「売る」対象そのものとしてデータを扱う傾向があります。これに対して、データを徹底的に解析し、アルゴリズムを開発して現実の問題解決に取り組むのがアメリカです。データは活用して問題解決するからこそ価値になり、お金になるというマインドセットです。
例えば、スマホアプリであらゆる患者のさまざまな情報をリアルタイムに収集し、Apple Watchなども使って血圧や心電図などのデータも採取します。このビッグデータに基づいて、一人ひとりに最適化された健康行動をAIがアドバイスする。個別最適化された医療が実現すれば、健康寿命はきっと伸びるし、医療財政も大幅に改善されます。
これが世界に拡がれば、膨大なデータを採取できるようになり、そのデータをAIが活用できるようになる。そのとき私たちの生活はどう変わるのか。これこそ「最適化社会」から「自律社会」への未来ではないでしょうか。
SINIC理論で未来ビジョンを持ち、ヘルスケアの未来を先駆けるオムロンだからこそ、持続可能な医療へのイノベーションを求めたくなります。アメリカの大学との共同研究も、積極的に手がけてくれることを期待しています。
PROFILE
カリフォルニア大学ロサンゼルス校津川 友介助教授
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)内科学助教授。東北大学医学部卒、ハーバード大学で修士号(MPH)および博士号(PhD)を取得。聖路加国際病院、世界銀行、ハーバード大学勤務を経て、2017年から現職。著書に『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』(東洋経済新報社)、共著書に『「原因と結果」の経済学:データから真実を見抜く思考法』(ダイヤモンド社)があり、医療に関する最新情報を発信している。
超高齢社会の中、〇〇健康法、△△ダイエット法の話題は、ますます盛り上がっている。NHKの番組「ガッテン!」の視聴率は、人気バラエティ番組と肩を並べ続けている。こういう話しで、私たちは「相関」と「因果」の関係を混同しがちだ。特に、「医療」と「教育」の分野では。津川さんは「因果」にこだわって未来への医療を考えている。持続可能な医療のために。AI、ビッグデータ、IoTなど技術革新で「医は仁術」というマインドはバージョンアップする。いち早く立石一真が見抜いたソーシャルニーズ「健康で長生き」をホンモノにするための因果の医療、UCLAの自由でチャレンジングな空気感と共に感じてきた。
(聞き手:中間真一)
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