RESEARCHED RESULTHRI×FRONTIER

人と機械の関係の未来ビジョン

2017.03.01

『対談シリーズ:人と機械、そのインタラクションの未来を語る』 ①前篇

~①自動運転研究のフロンティアより【前篇】~

vol.1:自動運転、そのビジョンを問う

対談
伊藤 誠:筑波大学システム情報系教授

佐倉 統:東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授

2017年2月16日、安倍首相は未来投資会議で「2020年までに運転手が乗車しない自動走行によって、地域の人手不足や移動弱者を解消する」と表明した。アメリカでは既にGoogleが、特区での自動運転試験を進めている。もう、すぐそこまで来ているかに見える自動車の自動運転だが、その実現には、まだ多くの課題が残されている。自動運転システムをリスク工学の視点から捉える伊藤誠教授と、科学技術社会論の観点から考える東京大学佐倉統教授の対談を2回に分けてお届けする。

自動運転のコストメリットをどう捉えるか

佐倉:科学技術のあり方は、社会との関係性によって決まると私は考えています。だから、同じ技術が社会の雰囲気や規制によりポジティブにもネガティブにも捉えられうる。どれだけ技術的に優れていたとしても、例えばベータビデオのように廃れてしまうケースがあり、逆に技術的にはベストでないものがスタンダードになることもある。では、今の社会において自動運転をどう捉えるべきなのか。都会の普通の道を自動走行して安全を確保するには、あまりにも撹乱要因が多すぎると感じます。膨大な変数を仮に制御できるとしても、莫大なコストがかかるでしょう。過疎地ならまだしも、大都会で自動運転が普通になるような状況は、正直想像できないのですが。

伊藤:まさに仰るとおりです。最近よく見かけるようになった自動運転のデモンストレーションは、あらかじめシナリオが決まっているものが多いのです。だから手放し運転でも大丈夫そうに見える。けれども、シナリオから一歩でも外れれば、現状の自動運転では太刀打ちできません。

佐倉:ただ、アメリカではGoogleなどが公道実験をやっていますね。

伊藤:お金に糸目をかけなければできるのです。自動運転を可能にするには、まずクルマの位置を正確に掴む必要があります。これは現在使われているGPSレベルの精度では話になりません。精度の高い地図情報の中で、センチ単位で自車の位置を把握できなければ危なくて仕方がない。道から50センチずれただけで、大事故を引き起こす恐れがありますから。

佐倉:Googleは、位置情報の精度問題を解消しているのですか。

伊藤:Googleの自動運転車は、屋根の上でくるくる回っているライダー、つまりレーザー装置によって外界の形状を認識しているのです。あれを付ければ、確かに自動運転の精度は飛躍的に高まるでしょう。けれども、ライダーは現状では1台700万円ぐらいします。

佐倉:それは日常生活で普通に使うにはコストがまったく合いませんね。

法との関わりをどう捉えるか

伊藤:自動運転実現にはコストのほかにもう一つ、大きな課題があります。まさに社会との関わりに直結する話で、自動運転と法律の関係性です。昨年、経済産業省が主催する、自動運転に関する模擬裁判に参加しました。そこで議論になったのが、自動運転中の安全確保のために、法を破ってもよいかという問題です。

佐倉:法を破って安全確保するとは、一体どういうことでしょうか。

伊藤:例えば、自動運転車の前方で事故が起こったために、車線がパイロンでクローズされている状況を想定してください。パイロンに突っ込むのは違法ですから、避けるために車線変更した結果、対向車とぶつかったという設定です。

佐倉:パイロンに突っ込むのは法律違反だけれども、結果的には安全が確保される。ところが、法律を守ったために事故になったというわけですね。確かに悩ましい状況です。

伊藤:どこまで法律を破っていいのか。その線引きは、一体誰が決めるのでしょうか。こんな単純な問題一つにさえ明確な答えを出せないようでは、自動運転車など作ることはできないし、事故の際の保険を扱ってくれる保険会社も出てこないでしょう。

佐倉:法律に関わる問題は、現実の社会的な仕組みや歴史的な経緯の中で捉えないと解決が難しいですね。常識とか慣行といったものが、どういう風に、どうやって決まるのか。それを機械に教えることができるのか。例えばスピード違反にしても、流れに乗っての制限速度15キロオーバーぐらいなら許されるという暗黙の了解のようなものがあって、厳密には法律上は違反なんだけれども、実際にはうまく回っています。自動運転に関しても、法律を厳密に条文どおりに適用するべしとなると不毛な議論に陥りかねないですね。

伊藤:制限速度を何キロオーバーなら許されるのか、などという問題は、まさに状況に依存するし、人によって解釈に幅がある。暗黙の了解を明文化するのは難しいでしょうね。

初めにビジョンありき

佐倉:科学技術に関するプロジェクトと社会の関係を考える際に、暗黙知の問題はいつもぶつかるところです。暗黙知を明示化しようとしてあまり厳密に追究しすぎると、新しい世界が広がる可能性を潰してしまう恐れがあります。

伊藤:その点で日本と対照的なのが、ヨーロッパなんです。自動車でもヨーロッパのメーカーは、まずビジョンを語る。現実的にはいろいろ問題があるのはわかっている。だから理想像を明確に打ち出した上で、解決策を見出すために、まず一歩を踏み出す。日本は技術力があっても、なかなか踏み出さない。

佐倉:お掃除ロボットのルンバなんか、その象徴的なケースですね。技術的には日本のメーカーでも十分に開発できた製品だったにも関わらず、掃除ロボットが勝手に動き回って仏壇などにぶつかり、ろうそくが倒れでもしたらどうするんだと。そんな議論になったために、商品化が見送られていたと聞きます。

伊藤:だから一旦アメリカから入ってくると、日本のメーカーが一気に追随したわけですね。

佐倉:理念をじっくり固めてから、しかしいったん固めたら素早く動くというメンタリティーは、興味深いですね。スウェーデンで科学コミュニケーションの国際会議が開かれた際に、配られたパンフレットに次のような文章が書かれていました。「私たちの科学コミュニケーションは、科学がよりよい民主社会を作るための活動です」。ちょっと感動したんですけど、日本でこんなフレーズを聞いたことがないし、仮にあったとしても「活動です」と言い切らずに「民主社会を作るための活動を目指します」ぐらいの表現に留めるでしょう。

伊藤:社会全体のマインドセットが、日本と少し違うようですね。

佐倉:自動運転についても、まずビジョンを決める。つまり、どこまで自動化するのが望ましいのかを最初に考える必要がありそうです。

誰がビジョンを語るのか

伊藤:技術畑の人間は、ビジョンの必要性を認識しているはずです。ただ、ビジョンについて議論するのは自分の仕事じゃないと考えている。そこで少し考えたいのが、そもそも自動運転は、何のためなのかという原則論です。高齢者のための自動運転だといいながら、いざ自動運転を使うとなると、それなりの勉強が必要だとか、新たな免許制度をという話になる。高齢者にそんな負担を強いる自動運転にどんな意味があるのでしょうか。

佐倉:技術開発に関わっている方々が、社会的な問題を自分ごととして捉えないというお話、とてもよくわかります。とはいえ、その技術が目指すビジョンは、それを日々研究・開発している人じゃないとわからないのではないでしょうか。

伊藤:そのとおりなんです。ただ、現実問題として技術の人間が口を出しにくい雰囲気があります。議論の場に出ると萎縮してしまうと言ったほうがいいかもしれません。だから、私のような立ち位置にいる人間が、もっと積極的に発言しなければと思っています。

佐倉:技術と社会の双方に目配りできる人が必要ですね。

伊藤:いわゆるヒューマンファクター、技術や自動化システムを使う人間の心の有り様を考慮した上で、システムをどんなフィロソフィーで設計するかを考えるのです。ただ、研究者自体が非常に少ないし、メーカーなどでも上流の設計部門にヒューマンファクターの観点で語れる人はあまりいません。

佐倉:上流できちんと考えておかないと、詳細設計に入ると後戻りできないのではないですか。

伊藤:だから、最初にそもそもどんなシステムであるべきなのか、ビジョンを考える必要があるのです。まさに人間と機械の接点は、どうあるべきなのか。そこを語れる人間が、メーカーに必要です。

自動化のために人間を見極める

佐倉:ところで伊藤先生は、どうしてヒューマンファクターや人間工学の研究に関わるようなったのでしょうか。

伊藤:割りと成り行きなのですが、最初は自動化システムの安全性評価から入りました。大規模システムで自動化が進んでいるけれども、要所では人間が関与せざるを得ない。であれば、まず人間の関与の仕方を踏まえておかないと、本当の安全性は語れない。そのためには人間を理解した上で、その特性をシステムデザインに活かす必要がある。そんな流れですね。

佐倉:その延長線上に自動運転がつながっているわけですね。

伊藤:2000年ぐらいから情報技術が急速に進化してきました。これを使えば自動車に関してもいろいろできそうだから、ドライバーとの関係を一度きちんと考え直そうと思ったのです。

佐倉:その流れの中で次代を担う研究者が育ってくるといいですね。

伊藤:ところが、これが実に難しい。例えば品質管理に関わる方がおっしゃるんだけれど、品質について語れるようになるには50代ぐらいにならないとダメだと。要するに製造ラインだけを見ていても全体像はつかめない。もっと俯瞰的に全体を見渡せないと品質は語れない。そのためには経験が必要だという話です。

佐倉:安全の問題も同じ構造だと。

伊藤:その通りです。おそらくは要素技術だけを理解しても全体像は把握できません。人間の認知特性や身体特性などを踏まえた上で、トータルとしてバランスの良いシステムが求められます。センサーにはどんな限界があり、どのような状況で人間の力が必要になるのか。ここまでわかっていないと人間と機械の関係は語れません。

佐倉:そのレベルまで行くにはかなり経験が必要ですね。

伊藤:5年や10年では難しいでしょう。理想としては研究室の卒業生で自動車メーカーやサプライヤーに入った人たちが、マネジャークラスになったときに、ヒューマンファクターのわかるマネジャーになってくれることです。

佐倉:果実が実るのは20年後、30年後になる。まさに木を植えてじっくり育てるような仕事ですね。

(後篇【3月15日更新予定】につづく)

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