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学びの未来

【ゲッチョ先生コラム】ヤマングゥ・キャンプ

盛口 満
2013.10.01

僕の住んでいる那覇から飛行機に乗って1時間かからずに、石垣島につく。この春に開港したばかりの空港に降り立ち、車に乗って10分少々で、白保の集落内にある、WWFサンゴ礁保護研究センター(以下、サンゴセンター)に到着する。サンゴセンターから歩いて数分で、そこはまぶしいほどの白い砂浜を据えた青い海が広がっている。砂浜の向こうには、まず、イノーと呼ばれる海がある。青に緑が混じった、いわゆるエメラルドグリーン色をした遠浅の海だ。その奥に、一本線のように、海岸と並行に横に走る白波が見える。ピーと呼ばれるサンゴ礁のエッジである。そのピーより奥は、青さをたたえた沖合の海だ。

 今から30年ほど前。この海を埋め立てて、新空港を造る計画が持ち上がった。その計画に、白保の人々を中心として、反対活動もまた立ち上がった。集落の前の海は、日々の暮らしと深く関わる豊穣の海であったからだ。しかし一方で、集落の人の中にも経済発展を重んじ、空港着工に賛成する人たちもいた。かくして、集落は二つに引き裂かれてしまう
。  当時、これまた生まれたばかりの新設高校の修学旅行生が、この白保を訪れた。その引率の一人が新米教師であった僕である。当時を思い返すと、空港問題や白保という集落そのもののことを、決して理解していたとは思えず、恥ずかしくなる。そもそも白保への修学旅行を企画したのも、教員ではなく、参加した生徒のほうであったのだ。
時は流れた。白保の海には貴重なサンゴ群落があることが世界的にも認知され、海を埋め立てての空港建設は水に流れた。そして、こうしたことをきっかけに、世界自然保護基金(WWF)ジャパンの施設である珊瑚センターがこの地に建てられた。僕が今回サンゴセンターを訪れたのは、おととしから続けている、サンゴセンターの主催する白保の子どもたちの夏の体験キャンプに参加するためである。といっても、これまた僕自身が参加すると言うよりは、大学の僕のゼミ生の教育の場として、この機会を利用させてもらっている。

  こどもキャンプに参加した、1年目のことが忘れられない。
  このときは、ゼミの学生の5名だけがキャンプに参加した。待っていたのは、ヤマングゥ(八重山語でワンパクの意味)の小学生男子2名だった。
「いやー。目の前で、顔をめがけてツバをはかれたのは、初めて」
そのときのことを、参加した男子学生が、今も苦笑まじりに思い出す。
僕はキャンプに参加するにあたって、自然に関する授業をすることを提案した。なんとなれば、僕のゼミ生は小学校の教員養成課程に所属していているからだ。ただ単に、子どもたちと遊ぶだけではつまらない。子どもたちとつながるコードを、「授業」というワードにしたかったのだ。キャンプで授業というのも、ちょっと不思議な組み合わせではあるけれど。ところが、待ち受けていたヤマングゥたちは、初対面の学生にツバを吐きかけ、椅子に寝転んで授業なんて聞くもんかという態度を明確にした(キャンプに参加した残りの子どもたちは、最初から好意的であったけれど)。 後で考えれば、彼らは試していたのである。
僕が感心したのは、学生たちのヤマングゥたちへの姿勢だった。彼らはヤマングゥたちの挑発にひるまなかった。逆に彼らのことをおもしろがりつつ、他の子どもたちと区別することなく接し続けたのだ。どうやら僕の引率した学生も、もとはウーマクー(沖縄語でワンパク。学生は沖縄島出身である)であったらしい。かくして、最終日には、学生たちになつく(といっても、スキあらばパンチやケリは繰り出していたが)ヤマングゥたちの姿があった。

2年目。中学へ進級したヤマングゥの一人はキャンプに不参加だった。一方、まだ小学生のもう一人のヤマングゥは、その年初めて白保にやってきた学生たちに、さっそく肉弾戦をいどみはじめた。およそ、半数の学生が弾き飛ばされ、半数の学生が肉弾を受け止めた。そして、やっぱり学生たちはこのヤマングゥをおもしろがっていた。
3年目の今年。驚いたことに、あのヤマングゥがツバどころかケリもパンチも出さなくなった。キャンプ開始の挨拶までする始末。さらに、いつのまにか、キャンプに集まった子どもたちみんなが、「キャンプで授業」という一見ミスマッチに思える企画を、心待ちにしてくれるようになっていた。そういう「文化」を造れたことが一番、嬉しかった。

ふと聞こえてくるのは、やれ教育大学院での教育が必要だの、採用試験突破だの、免許更新だのという「知」や「技術」の獲得についての話題ばかり。授業というのは、人と人との関わりである。つまりは一種の文化なのだということなど、容易に口に出せる雰囲気はない。だからこそ、学生たちに「文化」としての授業を体験してほしいと思っている。制度の海が広く、深くなろうとも、その海におぼれない術もまた、あるかもしれないと思うから。
何がどうなるかはわからない。
奇しくも、僕が高校教師として、生まれて初めて引率した時の白保・修学旅行の参加生徒の一人は長じて環境教育のプランナーとなり、僕が現在行っている、白保でのゼミ合宿に相談役として参加してくれている。
僕のゼミ生たちの将来を楽しみにしている。

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