「原発について、"わからないこと""知っているようで知らないこと""気になること"って、どんなことがある?」
大学の授業で、学生たちに聞いてみる。
人体への影響、チェルノブイリ、防護服、レントゲン、再稼働、風評被害、放射能と放射線の違い、水素爆発、いい放射線ってあるの?、原発って壊れなかったんじゃないの?、世界の原発について......。
さまざまな用語や疑問が口に出される。皆で出し合った、これらの用語や疑問を分担してテーマに選び、それぞれで授業をつくってみようというのが、次なる課題だ。授業という「誰かに伝える」という仕組みを利用することで、選んだテーマについて授業者自体が意識的に勉強することになるというのが、一番のねらいである。
「水素爆発の仕組みは調べたらわかったんだけど、水素爆発って、どこでおきたの? 原子炉の中?」
水素爆発をテーマに選び、授業案を作成中の学生から、あれこれ、質問をされる。質問を受けることで、教員であるはずの自分自身もまた、"知っているつもりでスルーしていること"ばかりだということに気付かされる。3・11の震災による福島第一原発の水素爆発は、どのようにしておきたのか。水素の発生源として一番大きかったのは、燃料棒を被覆していたジルコニウムという金属が高温の水蒸気と反応したためというのは、僕も以前に本で読んだことがある。でも、いわれてみれば、ジルコニウムの反応は原子炉の中でのことだ。しかし、原子炉の中で水素爆発がおこったわけではないだろう。そうなると、密閉されていたはずの原子炉から、水素が漏れ出たということになるわけだけど?
原子炉の圧力容器の上の蓋はたくさんのボルトで締めつけられているが、発生した水素の圧力ですきまができて、そこから漏れ出したか、配管のどこかにすきまや亀裂ができて、そこから漏れた水素が建物の上部に集まって、なにかの火花で爆発したのではないか......本を調べると、そんなことが書かれている。さらには事故を起こした原子炉そのものが、そもそも容量が小さすぎることや、上の蓋のボルト締めが弱いなどの欠陥を持っていたと言われているともある。水素爆発が原子炉の構造そのものとも関わる問題であったことを初めて認識する。
「水素爆発は原子炉を収めている建物の中でおきたんだよね。じゃあさ、拡散した放射性物質は、どこから出たの?」
学生からは、つづけて質問。これまた答えに詰まる。ついつい、知ったかぶりで答えようとしてしまうが、本当はきちんと知らないことに気付くことこそ大事なのだ。教師面をしてもっともらしく答えるのではなく、自分自身でまた調べなくては......。
昨年度、この授業を受けた、ある学生の授業後の感想が印象的だった。授業前、彼女が原発に対して思っていたのは次のようなことだったとある。
「私が原発について知っていたのは名前程度だった。小学校か中学の時、発電について学ぶ機会があった。そのとき沖縄では火力発電が最もつかわれていること。全国では原子力発電が多いことを知った。火力発電のデメリットを調べた私は、原子力発電にすればいいさーと考えていた。あの時、原子力発電に対して危険を示唆する状況はなかった。そして東日本大震災が起こった(中略)。原子力というものがとても恐ろしいということは、テレビなどを見て伝わっていたが、私は聞いたこともない難しい言葉を前に、それ以上学ぶ意欲を失っていた。原発についてシャットアウトしている自分がいた」
この気持ちはよくわかる。だからこそ、僕は学生自身がテーマを選び、授業づくりをしながら学ぶというスタイルを選ぶこととした。彼女の場合は、自分自身に存在していた抵抗感を乗り越えるために、唯一、自分の中にある手がかりを基にした。それは彼女の好きなミュージシャンに、「チェルノブイリ」という題名の曲があることだった。原発事故であまりにも有名なチェルノブイリも、事故が起こったのは1986年のこと。学生たちの生まれる以前のことであり、彼女もまた、歌でしかチェルノブイリのことを知らなかった。その「知らない」を「知る」に変えていった過程が授業として発表されることになる。
授業後の感想を彼女は次のように書いた。
「私は、この授業をするにあたって、チェルノブイリ原発事故のことについて名前も聞いたことがないという人が多かったことを知って驚いた。福島の原発事故と同じレベルの大きな事故が遠く離れている他国で起こっていることについて、私たちは知らない。それは沖縄の米軍基地問題について、国外どころか県外の人も軽視していることと似ていることに気付いた。私が伝えなければならないことは、こういうところでこんなことがあったのだと言う情報だと思った。私はありのままの事実を伝えて、その中で聞いている人が自分自身の中で結び付けられたらいいなと思い、授業をした......」
この感想に、教えられる。まだまだ、自分に知らないことがあると。まずは、それに気づくことから始まるのだと。