毎年、ゼミ生を連れて、石垣島で合宿を行っている。石垣島では小学生の自然キャンプに参加して、授業をするのも恒例となっている。キャンプと授業というのも、なんだか妙な取り合わせのように見えるものかもしれないけれど。
6人の大学3年のゼミ生を前に、授業づくりのルールを説明。テーマ選びは任せるけれど、「石垣島」「海」......このどちらかのキーワードに関わる授業を作ること。それから2週間後、それぞれの考えてきた授業案を発表してもらい、僕と4年生のゼミ生がその授業案について、あれこれと意見をいいあった。最終的には3年生のゼミ生も含めて投票を行い、2つの授業のテーマを選ぶ。
「石垣島」や「海」と聞いて、どんなテーマを考えつくだろう。僕だったら、どうしても生き物をテーマにしてしまうだろう。お隣の西表にはイリオモテヤマネコはいるけれど石垣にはいないのはなぜかとか、石垣と西表にいるクロカタゾウムシというおもしろい虫についてとか、海だったらカメについてやってもいいな......と思う。ところが、最終的に選ばれた授業のテーマは「稲作」と「平和」だった。ゼミの担当教官である僕は理科教育が専門なのに。
ともあれ、ゼミ生を二つのグループに分けて、具体的な授業について考えてもらうことにする。
「平和」をテーマとした授業案を発表したのはアイミだった。
あたしんちは糸満だけど、戦前は3つのムラがあったのが、沖縄戦で住民が半分になって、一つのムラに併合されたの......。で、戦後すぐは見たことないぐらい大きな芋や野菜ができて、掘ってみたら、髪の毛とかがでてきて、でもその野菜は、おっきいだけで味がなかった......そんな話をおじいやおばあから、小さい時から何度も聞いたんだ。そうそう、おじいの畑の真ん中に、でっかい不発弾が刺さっていたって言うのもあったっけ。いつのことかって? うんと、4年ぐらい前のことかな。みんなの家の周りには壕とかガマ(石灰岩地の自然洞窟のこと)とか普通にある? うちの周りは普通にあるよ。
授業案の発表にあたって、彼女は戦争にまつわる話を、じつにあっけらかんと口にした。そのあっけらかんさに、ぐらりと心が揺れる。普通とはなんだろうかということを、あらためて思わされた。アイミは普通に沖縄戦の記憶を受け継いでいる。
「でもさ、キャンプに来た子どもたちに、いきなり沖縄戦の話をしても、話を聞いてくれないよ」
ほかの学生からはそんな指摘も上がる。沖縄では、また、誰もが平和教育を受けている。そうした状況が、逆に「戦争の話? ああ、聴いたことがある」という反応でストップ状態を生み出してしまうとしたら、授業をする意味がない。
それなら、「普通じゃない」、平和教育の授業をしようと頭をつきあわせることにした。
「沖縄は沖縄戦があって、アメリカーに占領されて、だからその影響っていうのもあるでしょ。そっから入るっていうのは?」
そんなアイデアが浮かぶ。
「沖縄ではオートミールとかけっこう普通だったりする」
「キャンベルスープを普通に食べるし」
他にもまだある。沖縄の大衆レストランには、ポーク卵というメニューがある。これはランチョンミートという豚の加工缶詰肉の厚切りを焼き、卵焼きを添えたという代物だ。コンビニにいけばポーク卵おにぎりなる、応用品も目にすることができる。ちなみに僕はこのポークが大の苦手だ。食べることができない。
「ゲッチョ、ポーク食べれないの? なんで?」
笑いながら学生が聞いてくる。学生たちにとってポークは子どものころからのなじみの食品である。特にアイミにいたっては「うちではカレーの肉はポーク」と宣言するぐらい。
それでも、なんだかポークに注目するのは、子どもたちの興味を惹きそうだ。「沖縄では普通なのに、本土出身のゲッチョはポークを食べれないし......なんていう話をしてもいいよね」と学生たち。「導入には知っている沖縄料理って何? という質問を子どもたちにして、それから沖縄料理に使われるポークの歴史について紹介するのはどうかな? そこから、アメリカ軍の占領、その前の歴史としての沖縄戦の話につなげる」という作戦が建てられた。
自分でも少し、調べてみることにする。ポークが沖縄に定着したのは、沖縄戦後、アメリカ軍からの放出品として市場にでまわったことと、もともと沖縄は豚肉料理が盛んだったことがあわさってのことであるとネット上では紹介されている。さらに調べてみて、「あっ」と思ったのは、ポークは第二次世界大戦の軍用食糧として生産量を増やしたのだが、現在アメリカの中でも消費量が高い地域はハワイに加えてグアムであるという記述を見たことだ。グアムは有人のアメリカ領で唯一、日本軍に占領をされ、その後、占領日本軍と再上陸を行ったアメリカ軍との熾烈な奪還戦がおこなわれた島である。思った以上にポークには戦争の陰がかぶさっているものかもしれない。
普通を見返す。しかし、普通に気づくのは容易ではない。
本土出身の理科の教員と、沖縄出身の理科なんかには特別の興味がない学生たちがコラボをすることで、初めて見えてくる普通がある。
さて、本番はどうなることやら。授業づくりへの格闘は、まだしばらく続く。