近年でこそ大学でも企業でも「インターンシップ」と聞いて、それを知らない人は少なくなったが、日本でインターンシップが注目されるようになったのは1990年代後半である。
1997年当時の文部省、通商産業省、労働省が「インターンシップの推進に当たっての基本的考え方」をとりまとめた。その中でインターンシップは「産学連携による人材育成の観点から推進」されるものであり、「自社の人材確保にとらわれない広い見地からの取り組みが必要」と指摘されている。しかし、その定義については「学生が在学中に自らの専攻、将来のキャリアに関連した就業体験を行うこと」と幅広くとらえられ、大学も企業も見よう見まねで、トライアルでインターンシップを実施していた。
2000年代半ばになると、企業側にもインターンシップを継続して実施するメリットが必要となり、インターンシップは採用選考色を強めていく。「one day インターンシップ」といって、一日限りの会社説明会が夏頃から開催されたり、選考を兼ねた学生同士のグループワークをインターンシップと称して実施する企業も多数見られた。こうなると学生(主に3年生)の方にも「インターンシップに参加しないと採用選考から漏れる」「参加した方が就活で有利」といった心理が働き、インターンシップは本来のねらいから離れ、就職活動の一環となってしまった。これが就職氷河期と重なり、就職活動の早期化と長期化につながったといえる。
この状況に警鐘を鳴らしたのが、2011年「採用選考に関する企業の倫理憲章(日本経済団体連合会)」である。1997年に就職協定が廃止される以前は、大学と企業の間で、就職活動は学業の妨げとならないよう4年生になってからとし(4年制大学の場合)、企業も卒業見込み者にアプローチをかけないとする取り決めが存在していた。しかし、それは紳士協定で、「青田刈り」と呼ばれる就職協定違反がよく見られた。1997年以降は、日本経団連が「倫理憲章」を公表し、企業に対して責任と秩序ある採用活動を求めてきたが、採用選考活動の具体的な時期については記されてこなかった。
それが2011年の倫理憲章改訂で「広報活動は卒業・修了学年前年の12月1日以降に開始」「面接などの選考活動は卒業・修了学年の4月1日以降に開始」と明確化され〔1〕、「インターンシップ」についても「企業広報としてのプログラムをインターンシップと呼ばない」「インターンシップは5日間以上の職場での就業体験」ということが説明された。
このような採用選考、インターンシップの移り変わりは、学生の意識や行動にも影響を与えてきた。SFCでインターンシップの授業が始まった2000年当時、履修学生26名、受入企業14社であったのが、2002年には履修学生58名、受入企業34社と倍増し、それ以降徐々に履修学生、受入企業数が減少している。初期の頃は知名度の高い大企業もインターンシップの仕組みを持っておらず、大学が授業として実施するインターンシップにトライアルで参加、協力するケースが多数見られた。学生も大企業のインターンシップに授業として参加できるとなると、希望する先でインターンシップができるとは限らないとガイダンスで説明しても、我こそは第一希望の企業でインターンシップができると思いこんで履修していた。
2000年代半ば頃になると、インターンシップの仕組みを持ち始めた企業は、公募型のインターンシップを展開するようになる。自社のホームページでインターンシップの学生を募ったり、人材ビジネスやNPOなどのエージェントを利用してインターンシップの公募を行うようになった。公募型のインターンシップを実施するとなると、企業は特定の大学から学生を受け入れるのが難しくなる。同時に、学生にとっても公募型の方が魅力的な選択肢が多いと感じられ、授業ではなく公募型に流れていったと考えられる。
逆に、授業でのインターンシップを選択する学生は、「大学のサポートがあった方が安心」「自分に合ったインターンシップ先を選ぶのは大変だから、自分に合ったところを選んでもらいたい」「公募の選考に漏れるよりも、確実にインターンシップを体験したい」と、少し保守的であるけれど、非常に真面目な学生が集まってくる。
インターンシップの移り変わりとともに、学生、企業がインターンシップに期待することも多様になってきている。次回はこれらの期待と、人材育成としてインターンシップを継続していくための考え方について述べたいと思う。
〔1〕この倫理憲章は、政府からの「採用選考活動の開始時期の後ろ倒し」の要請を受けて、今秋新しい指針として公表される。そこでは、(1)広報活動(会社説明会など)は卒業・修了前年度の3月1日以降に開始、(2)選考活動(面接・試験など)は卒業・修了年度の8月1日以降に開始するという方向性が提示される予定である。