機械をはじめとする人工物には存在理由が必要だ。製品製造のためのラインは、製品が陳腐化すると不要になる。
だが、単にごくごく少数の人、時には製造者だけが「欲しい」という理由だけで存在するものもある。『ジャパニーズメイカーズ 日本の「新」モノづくり列伝』(草洋平/学研教育出版)には、自分が欲しいものを作っている人たちが集められている。
人が乗り込んで動かせる巨大ロボット「クラタス」、軽量だが強度もある木製の自転車「マホガニーバイク」、ウェアラブルな目玉ロボット、顔に付けた電極で音楽に合わせて強制的に顔の筋肉を動かす装置、ティッシュで作られた昆虫、ミニチュアの姫路城を自宅に作った男性、鉛筆彫刻、ペーパークラフトで戦艦大和を作った高校生、消しゴムのロボット・フィギュア、自動で動くロボットゴミ箱、等身大ヒト型ロボット、紙のロボット、本職の研究者も驚くロボット制御ソフトウェアを作っている人。
学研「大人の科学マガジン」に連載された記事を再編集したもので、一つ一つ、一人一人の紹介は案外あっさりしている。だがこれだけ、「作りたい」という自分の欲望に忠実な人たちが集められるとやはり壮観である。最近流行のデジタルやネットに関連したものづくりの人たちだけではなく、本当にアナログな素材を使い、常人は持ち得ない根気をもって趣味のものづくりに没頭している人たちも取りあげられている。
世の中には、ナチュラルに作りたいものを作ってしまう人がいるのだ。なにしろ巨大ロボ「クラタス」を作った倉田に至っては、自宅まで自分で作ってしまっているのである。彼の場合は特別かもしれないが、それを言い出すと本書に取りあげられている人たちは皆、特別である。
倉田のほか、木でカーボンで超えるものを作ろうとしている船大工職人・佐野末四郎の話も強く印象に残った。彼はこう述べている。
「技術屋は『なぜなんだろう?』と考えることが大事なんだ。大人になると金をもらえる仕事をやっちゃった方が良いんだと、生産性や経済性優先で考えてしまう。今まではそれでいいけど、これからの日本はそれでは残っていかないよ。そういうのは中国やインドに任せておけばいい。やっぱり人がまねのできない、人が感動する様な誰もできないことを、日本人はやらなきゃいけない時代になったでしょう」
また、ペーパークラフト戦艦大和を作った鳴滝拓也は、ペーパークラフトでいろんなモノを作っていることを、学校では特に言わなかったという。理由は、からかわれたらやめてしまいそうだと思ったことと、「クラスメイトよりも世界の人たちに評価される方が喜びが大きいから」だったという。
本書の著者・草は、この言葉に一番衝撃を受けたと述べている。いきなり世界に出られるネット世代と、ネットがなくて学校のなかでの評価を受けるしかなかった世代との違いを痛感したのだという。
ネット動画で大いに話題になった、自分で動くゴミ箱ロボットを作った倉田稔の制作動機の一つも、ネットで話題になることで、逆に社内で自分の技術力をアピールし、希望部署に異動したいと考えたからだったという。ネットのある今なら、取りあえず先に有名になってしまうという手があるのだ。
もちろんそれは、「腕に覚えがある」人に限られる。本書に限らないが、この手の人たちへのインタビューを読んでいると、いわゆる「メイカー」になれる人は限られていることも改めて実感できるのだ。
たしかにものづくりの敷居は下がっている。だが、誰でも「ものづくり」できるようなクリエイティビティを持っているわけではない。個人で「ものづくり」をしている人も、適性の面からもスキルの面からも、ほぼ必然的に、多くの人は既に製造業の業界内にいる。そのなかにいる人で、自分の普段の業務とは違うかたちでのものづくりをしたいと考える人が、自由なものづくりをしているのである。逆にいうと、それだけのエネルギーが、既存の枠組みのなかではうまく活かせていない、ということでもある。
このなかから、次世代のメーカーになる人たちが出てくるのだろうか。それとも、やはり純粋に作ることを楽しむ、趣味の範囲に留まるのだろうか。本書はどちらかというと後者寄りの人たちを集めているが、前者のような可能性もあり得なくはない。ただ、それは本人たちのベクトル次第だ。
米国ならば彼らに起業を促すような方向での支援や社会的風潮が強いのかもしれない。だが日本社会は日本社会である。日本ではむしろ、彼らの力をいまの企業活動や社会の活力へとどう繋げるべきかと考えたほうが、良い結果をもたらし得るような気がする。なんでもかんでも大量生産が良いわけではないし、「作りたいものだけを作る」彼らのベクトルはアーティストたちに近く、いわゆる起業とは相性が悪いように思う。つまり日本の「メイカー」の多くは、ときどきメディアで言われるような製造業の革命者ではなく(この本も第一章のタイトルは「個人的製造業革命」だ)、むしろ新たなかたちでの表現者として見るほうが良いのではないか。
となると、彼らの活動を既存の製造業に接続するときにも、彼らへの働きかけや取り込み方は、アーティストたちへのそれと同じようなものにするべきだということになる。彼らが日常の糧を得ている職業が製造業であっても、だ。ここで、彼らの存在は勘違いされているのではないだろうか。
ちなみにMITメディアラボの副所長も務めたグラフィックデザイナー、ジョン・マエダは、「デザイナーが生み出すのが『解決策(答え)』であるのに対し、アーティストが生み出すのは『問いかけ』である」と、WIREDのインタビューに答えて述べている(http://wired.jp/2012/09/26/so-if-designs-no-longer-the-killer-differentiator-what-is/)。そしてアートとは、「自分の価値観を思い出させてくれるような方法----つまり、この世界のなかでどのように生きることができるか、どう生きるつもりか、どう生きるべきかという価値観を思い出させてくれるもの」だとも。
「メイカーズ」が注目を集めている理由も、そういうことなのだと思う。
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