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てら子屋コラム

【秋の巻】ドングリの記憶
沖縄・珊瑚舎スコーレ 盛口 満
 「これ何だと思う?」
 僕は集まった小学生たちの前に、ある物を差し出した。
 「キノコ?」
 「セミの幼虫の殻?」
 「木の実?」
 いろんな答えが返ってくる。
 「マツボックリ?」
 そして中には、ちゃんと答えをあてる子どもがいる。

 僕が見せたのは、アメリカ産のジャックパインのマツボックリ。枝に長さ3.5センチほどのマツボックリがいくつもくっついたもの。しかしこれが一見マツボックリに見えないわけは、一つ一つのマツボックリの形が奇妙だから。マツボックリの鱗片は互いにぴったり重なりあい、開く気配さえない。その鱗片を閉じたマツボックリはエビのように曲がっていて、虫の姿を連想させる。そんなシロモノであるのだ。

 一般のマツボックリは乾燥すると鱗片が開き、中から翼のついた種子を放出する。しかしジャックパインのマツボックリは、拾ってすでに何年もたつのに、いっかな鱗片を開こうとはしない。じつはこのマツボックリは、山火事にあって初めて鱗片を開くのだ。周囲が焼け野原となり、芽生えの競争相手がいなくなるのを見計らうという親心(?)の発達した樹なのである。

 マツボックリはなじみのものではあるけれど、中にはこんなふうにヘンテコなものもある。アメリカ産の別のマツボックリは巨大だ。長さは20センチある。さらに一つ一つの鱗片はごつく、先端には丈夫な棘まで生やしている。こんなのが頭の上に落ちてきたら、ただごとではすまないだろう。このごついマツボックリは、おそらくリスの食害をまぬがれるために生まれてきたものだろう。マツの種子は油分が多く、リスやネズミにとっては格好の餌だ。せっかくの種子を食べられてしまってはカナワンと考えた(?)マツがあったわけである。

 一方で、中華料理の食材として使われる「マツの実」はまた別の方法をとったマツの種子だ。チョウセンゴヨウというマツは、種子に翼をつけるかわりに、一つ一つの種子を大きくし、硬い殻をつけた。どうせリスやネズミに食べられるなら、より積極的に彼らを利用しようとしたわけ。そしてリスやネズミが種子を貯食する行動に便乗し、いくらかの種子は食べ残され、母樹から遠くまで運ばれることをあてにした。

 「マズーイ」
 小学生にこんな話をしつつ、「マツの実」を食べてもらうと、そんな反応。独特のヤニ臭さがあるのである。
 「これがウマイと思えるようになったら大人になったってことだよ」
 僕は彼らにそう言った。

 秋の実を使った自然遊び。
 沖縄県、糸満市の児童センターからそんな依頼をうけた。僕はマツボックリやらドングリやらをザックにつめ込んで出かけていく。
 「『マツの実』みたいに、リスやネズミが大好きな木の実があるよね」
 「ドングリ!」
 「そう、今日はこれからドングリを食べようと思うよ」
 そういって、ドングリのつまった袋をドンと机の上にのせると、オーッと喚声があがった。
 「どこで拾ったんですか?」
 児童センターの職員もそう聞いてくる。

 じつは糸満市や那覇市といった沖縄県南部では、ドングリはまず拾えないのだ。もちろん沖縄島にもドングリは生えている。そのうちオキナワウラジロガシは日本で一番大きなドングリをつける樹だ。しかしこのオキナワウラジロガシを始め、マテバシイ、ウラジロガしといった樹は、沖縄島では主にヤンバルと呼ばれている北部の山林地帯に生えている。あと一つ、アマミアラカシという樹があるにはあって、この樹は南部まで分布しているものの、生育地が石炭岩地に限られているという種類。本土では学校や公園の敷地にドングリをつける樹が植えられていることが多いが、沖縄ではそれももっぱらガジュマルだ。かくして沖縄島南部の子どもたちは、話に聞いてもそうそうドングリを拾った経験がないのだ。

 「クヌギ、コナラ・・・」
 小学二年生で誰よりもオシャベリだったアカネも、名前を知っているドングリはみな本土のもの。
 「うちにドングリの芽があるよ」
 そういう男の子も、話を聞くと本土で拾って植木鉢にまいたものだと言っていた。
 だから、僕が袋いっぱいのドングリを机の上に置いたら、みんな「オーッ」と言ったわけ。

 このドングリの種類はマテバシイだ。マテバシイのドングリにはほとんど渋がなく、そのまま調理して食べることができる。沖縄島にもマテバシイは生えているものの、そうそう多量に拾えるポイントはない。これはわざわざ千葉まで行って拾ってきたものだ。
 「空を飛んできたドングリだよー。お金かかってるよー。そうだな、一個20円ぐらいかな」
 冗談半分でそう言ったら、アカネに「安いじゃん。でもドングリなんかにお金だしたくないなー」なんて突っこまれてしまった。

 子どもたちにドングリを配り、カナヅチを使って一個一個殻を割る。さっきまでワーワー騒いでいた子も、結構熱心に殻を割っているのがおかしい。
 「昔の人って大変だったんだねー」
 やがてそんなボヤきも聴こえてくる。
 殻をむき終ったあとは、包丁できざんで細くする。本当はこれをスリ鉢で粉にすると、キメが細かくなっていいのだが、さすがに時間がかかる。今回はズルをしてミキサーで粉砕した。

 いよいよ調理。砂糖とマーガリン。少々の小麦粉を入れてねって、オーブンで焼く。余った生地はフライパンでも焼いてみた。
 「ハンバーグみたい」
 フライパンで焼いている姿を見て、子どもたちがそう言う。そこで生地に醤油を混ぜてあらたに焼いてみた。結局これが一番人気。
 「お腹いっぱい。もうお昼いらない」
 アカネは満足そうにそう言った。

 沖縄に移住したからには、沖縄のドングリも食べてみたい。
 そう思う。
 埼玉にいた頃は、家から歩いて2分でドングリを拾えた。学校の敷地内のドングリを、授業時間を使って生徒たちに拾わせることもできた。しかし沖縄ではそうはいかない。
 那覇の家を車で出発し、高速道路も使って一時間。ようやくアマミアラカシのドングリポイントのひとつに行き着くことができる。

 11月だというのに林はセミの声がやかましい。ヤブ蚊の猛攻も恐るべしだ。補虫網を振り回して蚊を退治しつつ、ドングリを拾う。拾ったドングリは、僕が講師を務める珊瑚舎スコーレの授業で調理してみた。アマミアラカシのドングリは渋く、そのままでは食べることができない。いわばマテバシイに比べて上級編のドングリなのだ。

 マテバシイに比べると、アマミアラカシの殻は薄く、ほとんどカナヅチを必要としないほど。しかし、それと関連して、ひとつの試練が待ちうけている。
 「うわっマジ。触っちったー」
 マサオが叫ぶ。
 ドングリを割っているうち、ドングリの中に入り込んでいるシギゾウムシの幼虫と接触したのだ。マサオはみた目はいかついのだが、こと虫に関しては弱い生徒である。
 シギゾウムシの幼虫は、ドングリの中身を食べて育つ。よくクリの中に虫がいることがあるが、あれもシギゾウムシの仲間の幼虫だ。殻の厚いマテバシイのドングリには、あまりシギゾウムシが入っていることはないのだが、殻の薄い他のドングリにはシギゾウムシはつきものだ。

 殻をむき、虫食いを取りのぞいたドングリは、やはり粉にしてから、水にさらして渋を抜く。4日ほど水をかえるうちに、ドングリの粉は渋くなくなる。あとは自由に調理できる。
 「何つくろうかなー」
 「ダンゴとかもいいかも」
 高校生が対象なので、調理方法も彼らにまかせることにする。毎年秋になるたびに、こうしてドングリ料理コンテストを行っているが、僕が思いもつかないようなレシピを考え出す生徒が必ず出てきて驚かされる。
 紅葉のない沖縄では、視覚的に秋という季節は感じ難い。それでもこんな授業をしているせいで、毎年、秋になると、我が家の冷蔵庫はドングリに占領される。それがささやかな季節感だ。

 秋のある日、日本の最西端にある島、与那国島から小包が届いた。開けてみると、中にはドングリが入っていた。
 小包の発送者は与那国在住のユキさんだ。彼女は島でカレー屋を開きつつ、ヒマがあると海岸へ出かけてゆく。ユキさんの趣味は、漂着物を拾い集めることなのである。そして送ってもらったドングリも、皆、海岸に打ち上げられたものだった。
 このドングリの名前がわからない。
 マテバシイの仲間が多いのだけれど、明らかに日本産のものではないのだ。おそらく、与那国島に近い、台湾から流されてきたものだろうと思う。
 日本に居ながらに、外国のドングリが拾える島。そんなところもまたあるのだ。

 誰しも小さな頃はドングリが好きだったと思う。僕もまた、幼い頃はむやみにドングリを拾い集めて、親にしかられた思い出がある。では、そのドングリは何のドングリだったのだろうか。
 沖縄にくらすようになって、日本の広さを知る。
 ドングリが身近に拾えぬ土地がある。
 他では見られぬドングリが拾える土地もある。
 海を越えてやってくるドングリに出会える土地さえある。

 生物のおもしろさは、多数性と多様性だ。
 あなたのドングリの記憶は、その土地の自然の生育暦や個性とからむ、きわめて個性的なものではないだろうか。
 そんなふうに思っている。
 千葉に生まれた僕にとって、ドングリといえば何よりそれはマテバシイのことだった。沖縄に住まう今も、その縁はちっとも切れないでいる。
 僕が子どもたちにドングリを配る時。それは僕の記憶のカケラを彼らに分け与えているのかもしれない。

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