FUTURE SCOPE

2021.08.18

2030年、人類は新たな社会へ

総合地球環境学研究所
所長 山極 壽一 氏

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「SINIC理論」は、今から半世紀前にオムロンの創業者立石一真らによって構築された。この未来予測理論に基づくなら、現在は「最適化社会」にあたる。その後2025年に始まる「自律社会」を経て、2033年からは「自然社会」となり人類は新しいフェーズに入る。では未来社会の理想像とはどのようなものだろうか。大自然でゴリラ社会の研究を通じ、人間のあり様を追究してきた霊長類研究者・山極壽一氏に聞いた。

人々が遊動する社会

 いよいよ遊動民の時代が来たと感じています。「遊動」とは、今西錦司さんと梅棹忠夫さんが生み出した言葉であり、ニホンザルの行動域を遊動域と呼んだのが始まりです。遊動民を現代風に表現すればノマド、だからこれからは「The era of Nomad」となる。
 その背景にあるのは「縁」の喪失です。これまでの地縁、血縁、社縁から人は解放され、都会に縛り付けられる必要性もなくなってきた。これまで人が都会に集住してきた理由は、まずそこに仕事があり、さらに楽しみもいろいろあって便利だったからでしょう。
 けれども、そうした都会のメリットは、もはや過去のものとなっています。コロナ禍が示したように、人が密になりがちな都会は、決して安全な場所とはいいきれません。一方ではテレワークやワーケーションの普及により、都会にいなくとも仕事をきちんとこなして暮らせるようになった。首都の東京からの転出人口が転入人口を上回ったのは、おそらく明治維新以降初めてではないですか。
 若者の間で、大都会から故郷に近い地方都市に移住するJターンや、都市部から出身地とは異なる地方に移住するIターンが増えています。彼らは、都市で働くより収入は減るとしても、人と人とのつながりの中で自分の力を試して人生を送りたいと考える。東京だったらOne of themに過ぎない自分でも、地方ならOne of Oneになれる可能性がある。承認欲求を満たせるのです。
 人が移動すると、所有物が減ります。モノを多く抱えていては、自由に動けませんから。配送システムが整備されたおかげで、手ぶらで身軽に移動できるようになり、所有意欲が希薄になった。今どきクルマを持ちたいと思う若い人はいないし、自分の家を建てようなどとも考えない。定住意欲が希薄になっているのです。
 一昔前までなら都会で頑張り、いずれ故郷に錦を飾ろうと考える人もいたでしょう。けれども、その故郷そのものが失われつつある時代です。これまでの定住を基本とする人生設計が根底から覆り、これからは定住以前の時代に戻るのではないでしょうか。

公共圏が失われた

 この間、社会に根底的な変化が起こっています。それは公共圏の喪失です。従来はニュースの共有によって国家がつくられていました。そのニュースを司っていたのはメディアです。メディアが根拠ある正確な報道をしてくれるから、それを多くの人が信じ、国民が同じ物語を共有する。この共同幻想を前提として国が成立していた。人々をつないでいたのは、公共圏のメディアであり、人々は情報に対して受け身であればよかった。
 ところが情報通信技術の発展に伴い、この構造が根本から崩れました。SNSが発達し、人々は情報の受け手だけではなく出し手にもなった。その結果、フェイクニュースが氾濫し、どの情報を信頼してよいのかがわからなくなっています。同時にフィルターバブルにより、自分が好む情報ばかりを目にするようにもなっている。その結果起こっている公共圏の喪失は、国家の喪失をも意味します。これと同期するように地縁、血縁、社縁が失われたのです。
 日本では90年代初めにバブルが崩壊し、それ以来ずっと低成長時代が続いています。この間に地方はやせ衰えてしまい、都市と地方の格差が広がり過ぎてしまった。だから若者は都会をめざしたのです。
 ところが2011年に東日本大震災が起こり、その10年後にコロナ禍が起きて、東京をはじめとする都市の危うさが露呈されてしまった。この間に若者たちの意識も変わり、お金儲けより暮らしの豊かさを求める傾向が強まっています。就農人口が少しながらも増え始め、子育てしやすい地方に移住する若者が増えつつある。
 仕事に対する考え方も大きく変わりました。非正規雇用が40%を超え、正社員として新規採用されても1年以内に3割ぐらいは転職する。転職や副業が当たり前の時代であり、一つの会社に身を預けて生涯に渡って勤め続けようと考える若者など、もはやほとんどいないのではないですか。
 人々の行動が変わると、コミュニティのつくり方も変わります。これまでコミュニティは、地縁、血縁、社縁による対面を前提としてつくられてきた。けれども、これからはネットを中心とする、いわば電縁によりいくつものコミュニティに参加し、それらを渡り歩く。そんな生き方が当たり前になると思います。

行為が重視される狩猟採集スタイル

 平野啓一郎さんが打ち出した「分人」、複数のコミュニティに属しながら、各コミュニティで求められる自分を演じるのが当たり前になっていくのでしょう。その方が楽だし、楽しい。いろいろな自分を表現できて、たとえ失敗しても、別の自分がいると思えば落ち込む必要もない。
 モノを持たない、何でもシェアする、そして平等。この3つをインターネットは並立可能としました。しかもネット社会には中心という概念がないから、誰もが参加しやすく、そこから抜けるのも簡単です。参加者は点と点でつながるから、格差も生じない。
 中心がなく権威も存在しない社会において、人々は狩猟採集民の精神状態に戻ると考えています。ただしかつての狩猟社会とは異なる点もある。以前は食料を求めて移動したけれども、今は必要なものがどこに行っても簡単に手に入る。だからより自由に動き回れるのです。それでいながら仲間とは常にバーチャルにつながっている。
 そのとき人は、所有物によって自分の価値をひけらかしたりしなくなる。価値は所有物ではなく、あくまで自分の行為や経験によって生み出されるのです。InstagramやFacebookに若者がアップしているのは、所有物ではなく自分の行為や経験です。こうした生き方を下支えするのが、シェアリングとコモン、つまり公共物の増加です。シェアの良いところは、モノを通じて人と人がつながっていくことです。
 いま全国には空き家が840万戸もあります。これを行政が整備して、安く使えるようにすれば、若者はどんどん移動するでしょう。どこに行っても住まいとして使える家があるなら、あえて自分の家を持つ必要はなくなります。そこでいろいろなものをシェアしながら生活する、つまりノマドです。
 シェアしながら移動していれば、体験がカラフルになり、友達も多様になる。遊動生活が成立する、まさにThe era of Nomadとなるわけです。

2030年、ノーコントロールの自然社会へ

 こうした未来社会が、2030年までにはかなり実現すると思います。環境省の地域循環共生圏では、地域間の関係性と循環の必要性が打ち出されています。地域同士の関係、あるいは地域の中の人間関係は、人の移動によってつくられたり解消されたりしながら循環していく。人口の1割ほどを学生が占めている京都市などが典型ですが、どの地域でも関係人口や流動人口が増えています。私は20年前から主張していますが、複数カ所に税金を収めて、住民票を複数持てるようにすればよいのです。
 本来、人の社会に必要なのは「動く自由」「集まる自由」「対話する自由」です。3つの自由を駆使して、人は豊かな社会をつくり、生きる意味を見出してきました。自由に動いて、さまざまな集まりに参加し、人と対話して気づきを得る。この気づきこそが、自分が未来に向って動いている証です。だから定住していても、人は休みにできるだけ動こうとした。旅に出てイベントに参加し、スポーツを楽しむ。多彩な経験が生活に豊かな彩りを与えてくれる。狩猟採集生活は、自然にそうした実りを与えてくれたのです。
 もう一点、かつての狩猟採集民たちは、生活に必要なものはたいてい自分で持っているのに、あえて人のものを使いました。シェアすることによって人と繋がれるからです。彼らは基本的に自分で何でもできたけれども、あえて自分で全部やったりせずに、人に助けてもらった。1人っきりで暮らせるけれども、人と一緒に暮らしたのです。
 ここは今のノマドたちとは少し異なる点です。現在の遊動民たちは1人では何もできません。何もできなくても、あるいは何も持っていなくても暮らせる社会になっている。ただしシェアだけは必須で、シェアしないと生きていけない。2030年にはシェア技術の整備が進み、何も持たなくとも暮らせるようになるでしょう。
 そのとき「SINIC理論」でいう自然社会が実現するのではないでしょうか。所有物がなくなり何ごともシェアするようになれば、平等意識が高まり格差などなくなります。働き方も変わるでしょう。自由に動き回れて定住せず所有もしないのだから、争いごとも起こらない。
 「SINIC理論」によれば、自然社会での理想はノーコントロール状態だそうですが、それは権威がない社会です。ここで重要なのは文化と文明の違いです。文明には政治組織が必要だけれど、文化にはそんな組織は不要です。
 なぜなら文化とは、人々の暮らしの中に埋め込まれているリズムだからです。そのリズムに同調するからこそ、人々は自然の流れに乗ってゆったりと暮らせる。流れの中で自然に交流が生まれて、信頼関係が育まれていく。そんなノーコントロールな自然社会が、2030年には実現するのだと思います。

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PROFILE

総合地球環境学研究所
所長 山極 壽一 氏

1952年、東京生まれ。霊長類学・人類学者
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 総合地球環境学研究所 所長
京都大学理学部卒業、京大大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学、理学博士
ゴリラ研究の世界的権威。ゴリラを主たる研究対象にして人類の起源を探る。
京大霊長類研究所助手、京大大学院理学研究科助教授を経て同教授。2014年10月から京都大学総長。
2017年10月から日本学術会議会長を兼任し、日本の学術界を牽引する。2021年4月より現職。
主な著書に『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』(NHKブックス),『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル),『ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」』,『スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』(ポプラ社)など多数。

聞き手のつぶやき

 山極先生の著書や講演、寄稿など、これまで多くのメディアや場を通じて接するたびに、HRIの活動への迷いを払拭でき、励まされてきた。それは「脳」でシンクロするだけでなく、自らの日常体験、HRIで進めてきた未来の担い手の学びと遊びの場「てら子屋」等の実践から「身体」でも感じ取ってきたもの、両サイドでつながる共感だった。
 SINIC理論で2033年から始まると予測される「自然社会」は、絵空事扱いが多かった。しかし最近、SINIC理論の話しに共感を示す学生など、若い人たちには「自然社会」こそ関心のど真ん中なのだと知り、驚いたり我が意を得たりと感じていた。さらに、山極先生は、2030年の自然社会は夢ではないと明言された!
 やはり、時代は大きく動いている。ハイパー狩猟採集社会を想像するモチベーションが充ち満ちてきたインタビューだった。出かけてよかった。
ヒューマンルネッサンス研究所
所長 中間真一

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