COLUMN

2010.01.01中間 真一

シリーズテーマ「学び」#1幸せのつながり

新年明けましておめでとうございます。
今年も私たちHRI研究員コラムを、よろしくお願いいたします。
毎年暮れに「今年の漢字」が発表になりますが、三年前の「偽」から「変」、昨年は「新」と来ました。そして今年は、新たな成長の動きが始まると言われる寅年です。ぜひ、年末には「明」や「光」の文字を見たいものです。

 このコラムも昨年10月から「新」企画リレーコラムがスタートし、ちょうど年末で一巡しました。「働く」をテーマに、研究員が隔週で書きつないできましたが、いかがでしたか?それぞれスタッフが、バトンをちゃんと受け取っているように見せかけて、じつは自分の書きたいことを書いているところなど、個性派ぞろいのHRI研究員らしさが表れていたように感じています。
 さて、年を改めての二巡目のリレーのテーマですが、HRI生活研究三大テーマの一つ「学び」とします。どんな展開となるか、ぜひご期待ください。
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 新年というのは、やはり何か幸せを見つけたくなるものです。先行きの見通しをつけにくい時代にはなおさらです。また、大きなことを言ってみたくなるのも正月という「節目」の気分です。というわけで、「幸福」とは何か?なんて大きな話しでスタートしてみます。

 これは、太古の昔から尽きない人間のテーマです。しかし、調べてみると近代の「幸福」の意味付けは、ジョン・ロックあたりに端を発しているようです。ロックは、幸福を構成する要素の中から、誰にも共通する「富・財産」を取り出して基本的人権を考えました。それ以降、富や財産の所有、モノの豊かさの追求に幸せを見いだすという流れが強くなったと見ることもできそうです。
 昨年末に、経済学の教科書でおなじみの世界的経済学者ポール・サミュエルソン博士が94歳で世を去りました。その彼の教科書の中でも幸福の一般式は次のように表されています。

幸福=物的消費÷欲望

 富や財産を所有して、物を消費できることこそ幸福だという考え方のもとに欲望が煽られ、次から次に消費を促す経済活動を続けて、ここまでたどり着いたということです。「所有価値」を豊かさのモノサシにしてきた社会には、工業は最適な産業だったわけです。しかし今、物的消費も欲望も先進国を見る限りではアップアップしてきています。そういう時代にサミュエルソン博士は亡くなりました。なんともシンボリックに映ります。さらに、地球環境は、これ以上の欲望と消費の連鎖を続ける人間社会に警鐘を鳴らしています。

 では、幸福の新パラダイムはどんなものなのでしょう?「物の豊かさから、心の豊かさへ」の意識の変化が指摘され、「所有価値」から「存在価値」へのシフトが言われ始めてから、もうかなりの時間が経ちました。しかし、ようやく今こそ本格的な価値観シフトの渦中にあるのではないでしょうか。
 おっと、ついつい、正月気分で大風呂敷を広げてしまいました。このままでは収拾がつかなくなりそうですから、そろそろ畳み始めるための話題転換です。

 じつは、暮れも大詰め30日の晩、私は友人の結婚披露宴に出かけていました。なんと!おめでたい宴の席は東京湾の船上です。この友人とは、年齢は一回りほど違うのですが、学び舎の同期生です。もちろん、それほど長い間大学に私が留まっていたわけではなく、社会人になってからの学びの場です。
 東京湾の夜景をバックにしながらの披露宴は、新郎の高校時代の友人、海外留学時代の友人など、年齢も職業もさまざまな人たちが、カップルの幸せを祝い、笑いの絶えない賑やかなパーティーでした。師走ならでは、我らが大学院の恩師も駆けつけてくださり、テーブルでは年齢や職業、役職に関係なく、学びの場に同時期に集った仲間として会話を弾ませ、ハッピーな一時を過ごしました。
 この愉快な仲間たちは、それぞれに「学びたい」という欲望のもと、偶然にも同じ場に集い、大学院の二年間を共に過ごしてきたのです。ゼミでは、社会人ならでは、容赦なく他者には厳しいコメントを浴びせ、もちろん自らもボコボコにされる、知のボクシングのごときパンチの応酬の場でもありました。若い先生の授業では、「あの授業は、まったく現場感覚が欠けていてなっちゃない!」などと夜遅くの講義の後に居酒屋でくだを巻くこともありました。みんな忙しい仕事の傍ら、時間を工面しながら論文をまとめた達成感という歓びと、歓びへのプロセス、場を共有してきた同志たち。結婚した彼らを祝福する幸せと共に、こういうつながりを紡ぎ出す「学びのコミュニティ」の効用に幸せを感じました。

 あの二年間で、私が学びの欲望の先に感じ取ったものは、「知識の所有」というよりも、こういう仲間や教授たちとのやりとりを経て、何かしらの反応を遂げた「自分の存在」への歓び、満足感だったのではないかと思い返せます。
 学ぶということは、こういう他者とのやりとりを経ながらの自らの変化や気づきを楽しむことかもしれません。これって、かなり主観的ですが、間違いなく幸せな営みです。「交歓の市場(いちば)たる学びの場こそ、これからの市場原理なのだ!」私は、イリイチのコンヴィヴィアリティという概念をたどって、そんな修論を書きたかったのですが、もちろんそんな大仕事は、まだ道半ばの完成度のまま時間切れ(息切れ?)となりました。しかし、実際にはこのように、今でも幸せのつながりを、学び合うコミュニティの延長線上に持って、そんな大望を思い出すこともできています。

 日本では、仕事上の待遇(所有価値)面では効用があるとは言えない、社会人の大学院での学びです。しかし、あえて「存在価値」狙いの学びというのも、これからのソーシャル・キャピタルの時代にマッチしてくるかもしれません。いやはや、正月早々まったく次の書き手のことを考えていない自分勝手な結末ですが、鷲尾さん後はヨロシクつないでください。
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