COLUMN

2008.09.01中間 真一

つなぐ力が流れを魅せる~北京オリンピックの残像から~

 オリンピックが閉幕して一週間。会期中の熱狂も冷め、私の中のオリンピックの残像を反芻してみています。中でも、80年ぶりにトラック競技で日本にメダルをもたらせた男子陸上400mリレーの快挙は、私にとって今大会で最もシンボリックなシーンの一つでした。小学生の頃にリレーの選手になったことがある程度で、トラック競技に詳しいわけではないのですが、あのシーンから感じたことを記してみます。

 陸上400mリレーは、「オオッ」、「アッ」、「イケッ」、「ウオー!」という間に、4人のランナーが100mずつ走りつないで「バトンがゴール」しますよね。今回の銅メダル獲得を、アメリカやイギリスという強豪チームのバトンミスによる、棚ぼたラッキーと評す人もいたようですが、私は「それは見当違いじゃないか」と思っています。日本チームの決勝タイムは38秒15、世界新で優勝したジャマイカが37秒10、どちらも平均すれば100m決勝を世界新で優勝したジャマイカのウサイン・ボルト選手の記録よりも速い、凄まじい走りがつながった結果です。リレーゾーンでの加速というアドバンテージがあるのだから当然とも言えるのでしょうが、その分バトンタッチによるロスのリスクも孕んでいます。陸上と水泳のリレーの違いは、個々人のスピードと同等かそれ以上に、バトンがより速くゴールへと運ばれることを競っている点にあるのだということを、今さらながら私は感じ入ってしまいました。こんなことは、今まで気にしなかったことなのに、日本チームの銅メダルによって考えることができたのです。

 それにしても、何度も何度も繰り返し放映されたリレー競技を観ながら、日本の独特のバトンタッチへの好奇心は高まるばかりでした。他のチームは従来どおり、次の走者の手のひらに上から叩きつけるようにタッチいているのに、日本チームは下から相手の手のひらに押し当てるようにしていました。最初に観た時には、失敗のタッチなのかと思いましたが、そうではありません。助走中の腕の振りに対して自然なタッチ方法という解説を聞いても信じがたく、じつは自分で試してみました。確かに自然な感じです。しかし、上手く相手の手のひらにつなぐという観点からは、従来方法よりも確度が下がるのではないでしょうか。それを成功させてしまっていた4人の選手たちは、やはり「バトンを、より速くゴールさせる」という競技を心得て、そのための信頼関係とシンクロ関係を築いて、つなぎの技に徹していたのでしょう。

 技術論をコメントできるほどの知見は持ち合わせないのですが、素人観客として「おやっ?」と気になったことがもう一つありました。あの決勝で、ジャマイカのボルト選手は第3走者でした。しかし、最終ゴールにもボルトは駆け込んできていました。最後に駆け込んできた選手のユニフォームが、ダントツトップでゴールしたはずのジャマイカのものだったのです。なんと、三走のボルトがそのままゴールまで走ってきていたのです。私にとって、このシーンは印象的でした。ボルトにとってのリレーは、「つなぎを競う技」というよりも、あくまでも優れた「個の力」の加算結果なのではないかと。ボルトが最終走者にバトンを渡したシーンは、まだ走れるのに無理にスピードダウンしてタッチしたような様子がうかがえましたから。

 天性のずば抜けた個人の能力を活かしきって勝利する選手の神々しい輝きは、もちろん観る者を魅了しました。一方、個人の力を見事につないで勝利するチームからは、流れの美しさに魅せられました。少し大仰かもしれませんが、それを見せてくれたのが日本チームだったことを、私は日本社会の未来への希望として受け取りたくなりました。

 今、日本社会は、走り終えたコトや人と、走り始めるコトや人の、大切な「リレーゾーン」にあるような気がします。あのリレーのように、つなぎ手同士の信頼と、独自の技のもとに、美しい流れをもって未来への絶妙なタッチを遂げたいものです。流れは、これまでをこれからにつなぎ続ける場です。「ああ~♪ 川の流れのように~♪ いつまでも青いせせらぎを聞きながら♪」美空ひばりさんの歌も、人々を魅了しますよね。
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