「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」
映画「皇帝ペンギン」を見た私の頭の中は「なぜ?」で埋め尽くされた。
「皇帝ペンギン」は、南極の過酷な自然環境の中で、命懸けで子育てをする皇帝ペンギンの姿を追ったドキュメンタリーだ。皇帝ペンギンが子育てをするのは冬。豊かな恵みをもたらす海を離れ、100キロもの距離を歩いて、より安全な営巣地へと向かう。360度氷に囲まれた世界の中で、パートナーをみつけ、卵を産むと、雌は群れを離れ、自らとやがて生まれてくる子どものための糧を獲得するための旅に出る。卵を託された雄は、約4ヶ月もの間、何も食べず、厳しい寒さに耐えながら卵を温め続ける。寒さに力尽きるものもいる。捕食者に襲われるものもいる。卵が無事に孵り、雛が無事に成長するのは、ほとんど奇跡のように思われた。
なぜ彼らは、マイナス40度という極寒の地で、それもわざわざ冬に子育てをするのか?
なぜ、恵みの海から遠く離れた営巣地を選ばなければならなかったのか?
・・・なぜ、彼らはあんなにも不便にできているのか?
足とくちばしを不器用に動かしながら、雌が産んだばかりの卵を雄に渡す場面に、手に汗を握る。親の体から離れた卵はほんの数秒しか、氷の温度に耐えることができない。受け渡しに失敗して、雄雌の間に転がった卵が凍りつき、「ピシピシ」と音を立てて亀裂が入ってしまう場面を目の当たりにして、私の「なぜ?」はほとんど怒りに変わっていた。あの翼が、もう少しだけ器用に使えたら・・・
もう少し、豊かな海の近くで子育てができたら。
もう少し、違う季節を選べていたら。
映画を見終えたあと、「なぜ?」という気持ちがおさまらずに調べてみると、同じペンギンでも、アデリーペンギンは夏に子育てをするという。皇帝ペンギンがなぜあのような姿形で、あのような一生を送るように進化したのか、理解に苦しむ。あまりにも理不尽だ。
しかし、と振り返る。10ヶ月をかけて自らの胎内で育て、一生のうちに一人か二人しかもたない子どもを、親が殺してしまう。何十年間もかけて育ててもらった親を、子が殺してしまう。生活を豊かにするためと、自分たちで生み出した文明の利器の犠牲になって、命を落とすこともある。現代の人間の生活は、皇帝ペンギンから見れば、「なぜ?」と首を傾げることばかりかもしれない。
皇帝ペンギンが不自由なのか、私たちが不自由なのか。私たちはどこに向かって「進んで」いるのか。与えられた過酷な環境の中で賢明に生きるペンギンたちの姿を見ながら、そんなことを考えさせられた。
(鷲尾梓)