2020年1月から新たにHRIの研究員として加わりました。 SINIC理論をベースに、よりよい社会を実現するための近未来社会のデザインを提案していきたいと思います。 よろしくお願いいたします。
私の初回のコラムでは、日本でイノベーションがなかなか生まれないと嘆く声をよく聞く機会があることを背景に、「イノベーションを生み出し続ける組織のつくりかた」について考察したいと思います。
世界で最もイノベーティブな会社の一つに米国シリコンバレーにある「IDEO」があります。 人間中心の「デザイン思考」の本家であり、世界最高のデザインファームとも呼ばれるIDEOは、アップルの初代マウスをはじめ、あらゆる分野で数多くの重要なイノベーションを生み出し続けてきましたが、今なおイノベーションのトップランナーとして走り続けています。 創業者のデビッド・ケリーはスタンフォード大学の「d.school」を創設してデザイン思考を世に広めたことでも知られています。
「デザイン思考」がイノベーションを生み出す手段として日本でも知られるようになってしばらく経ちますが、デザイン思考を実際に取り入れている日本企業は2018年の調査では5.5%にとどまっています(※1)。 なぜ日本ではイノベーションの必要性が叫ばれながら、デザイン思考の活用が進まないのでしょうか?
IDEOの答えは明確です。 「我々が当初から伝え続けてきたのは、最も重要なのはプロセスそのものではなく、それを扱う人、組織のマインドセットであること」(※2)、つまり組織の「文化」を変えずにプロセスだけを模倣してもダメということです。
では、イノベーションを生み出すのに必要なマインドセットや文化とは一体どのようなものなのでしょうか?
この問いに答えるために、IDEOがわずか5日間でスーパーマーケット用の全く新しいショッピングカートをデザインして実物を作り上げた事例を取り上げたいと思います。 これは米国のテレビ局(ABC)の「ディープ・ダイブ」という企画で、テレビカメラが回る前で実際に5日間でモノを作りきり、大きな反響を呼んだプロジェクトです(※3・4)。
プロジェクト1日目に、IDEOのプロジェクトチームはまず「理解」と「観察」のためにグループに分かれて自律的に動き始めます。 近所のスーパーに出かけて人々の行動を観察したり聞き取りをするグループがあれば、カートのバイヤーに会うグループ、カートの修理工を見つけるグループ、地元の自転車店をまわってデザインと素材の情報を集めるグループなど、それぞれのメンバーがあらゆる手を使って躊躇せずに行動を起こして、わずか一日で深いインサイトを得ます。
2日目には、全員でブレストをし、「子供が学校でやるみたいなアイデア発表会」でどのようなプロトタイプを作るか素早く決定し、4つの自律的なグループに分かれて、午後のわずか3時間で素材を探して実物大のプロトタイプをいくつか完成させます。 その後、全員でプロトタイプを集約し、CADを使ったりして設計を進めていきます。
3日目には溶接工に美しい曲線のフレームの制作を依頼して完成度を高め、4日目に最終的な完成品を作り上げて仕上げの色塗りまでやり遂げ、最終日の5日目の朝に見事完成品を披露します。
このように、IDEOでは各々のメンバーが率先して主体的・自律的に考えながら行動するという文化があります。「Think」だけをするような人はおらず、全員が「Do」するという文化が組織の隅々まで浸透しているのです。 明日や来週から行動に移し始めるのではなく、今すぐに行動に移してしまうのです。
常日頃から、常識や思い込みといったものに起因するメンタルブロックを外して「Do」する習慣が文化として浸透していることで、自分がやるべきと思うことを迷わずにやっていくことが可能になっているのだと思います。
では、そのような文化を他の企業でも浸透させることは可能なのでしょうか?
私は「訓練」と「実践」によってそれは可能だと考えます。 訓練といっても、デザイン思考のようなプロセスを学ぶための訓練ではなく、メンタルブロックを外して圧倒的な行動力を身につけるための訓練であったり、真の自律性を身につけるための訓練です。
なぜそれが可能なのかというと、行動力や自律性といった能力は新しく獲得する能力というよりは、本来人間が本能的に持っているはずの、いわば「野生的」な能力だからです。
例えば、無人の孤島に取り残されたとしたら、誰でも食料や水を探すために誰から指図されなくても必死に動いて生き延びようとするでしょう。しかし飽食の時代の現代では、そのような能力の必要性は下がり、与えられた仕事や役割をこなすための専門的なスキルのほうが重要視されるため、本能的な能力は努力をして呼び覚ます必要があります。
忘れかけていた人間の本能的な能力を訓練によって目覚めさせ、実践によってそれを定着させつつ周りの人たちに伝播させる。 これを繰り返していくことによって、組織の一定数の人がその能力を身につけて実践するようになれば、文化としてさらに伝播して広がっていく。
では、具体的にどのような訓練をすれば良いのか? これに関しては、また別の機会にお話ししたいと思います。