COLUMN

2019.02.01澤田 美奈子

機械と機械の協調あるいは喧嘩から学ぶこと

 1年か2年に1回足を運ぶという頻度のせいかもしれないが、展示会で見る工場向け産業用ロボットの進化には、たまに会う親戚の子どもの成長ぶりのように驚かされることがある。

 たとえば人間の「腕」代わりに作業を行うアーム型ロボット。10年前ぐらいに見たときはモノを掴んで運ぶといった単純作業をおぼつかない手つきでやっていて、現場に導入するにはいささか心もとない代物だなぁ、というのが率直な印象であった。
 しかし様々な面で技術進化を重ねながら、やがてしっかりとした手つきで人間の作業を手伝うようになり、さらにはごちゃごちゃの部品の山から特定の部品を選び出したり、高速で部品を種類別に仕分けたりなど高度な作業もできるようになっていった。先日の展示会で見た最新型ロボットは、ベルトコンベアに乗って回転移動する部品をピックアップしたり、同一作業ではなく異なる複数の作業工程を1台のロボットでこなしたり、壊れやすい化粧品容器を丁重かつ高速で搬送したりといった着実な成長を遂げていた。
 こうした機械の成長ぶりを見ると、あんな小さかった子がこんなに立派になって…、といった親戚のおばちゃんのような感慨がわいてくる。

 そんなおばちゃん視点で漠然と予感するのは、これからますます学習して成長するロボットは、今でこそまだ人の存在を必要とする工程があるものの、そのうちなんでも自分でできるようになり人間を不要とする日が来るだろうということである。


 今から4年前、2015年は「協働ロボット元年」とも呼ばれ、工業規格の改定を契機に、安全柵を設けず人のそばで動作できる「協働」ロボットを国内外の様々な企業が展示会に出展していた。人と協働するロボットはおおむね、人間の作業環境で働けるように小型化され、可動域や速度が制限され、いざというときの緊急停止等の安全機能も搭載されるといった特徴を備えていた。

 そうした協働ロボットを横目に見つつ、当時私の印象に残っていたのは人と機械の協働よりもむしろ、機械と機械とが協働して作業をする光景であった。
 某ロボットメーカーの展示ブースで、安全柵に囲われた中、ゾウぐらいの大きさのロボット3台が自動車の内板塗装をしていた。車のボディを支える役、塗装をする役、ドアを開閉する役、という分担を行いながら、圧倒的なスピードと正確さと力強さでもって見事に作業を完遂していたのである。
 そこ以外のブースでは、人の横で人に気を遣いながらおそるおそる動作しているといった風情の協調ロボットを見ていたせいもあったのだろう。人のいない場所で働く機械同士の見事にウマの合った連携プレイを見ていると、やっぱり機械は機械同士で作業をするほうが楽しいんじゃないかという気がしてきた。人間に危害を加えぬよう動作や機能を制限せざるを得ない協調ロボットと違って、無人の環境下で機械同士で連携するロボットたちは、そのスピードやパワー、ダイナミックな動きといった機械ならではのアドバンテージを十二分に発揮していきいきと働いているように見えた。
 そんな機械同士の連携ぶりを、柵の外から見ているというのが、未来の製造現場の人間の正しい立ち位置のような気がしてならなかったのである。人間は柵の外で、何をつくるのかとか、機械の判断を判断するとか、「機械にできること」をより創造的に拡大するといった創意工夫の仕事に打ち込めば良い。

 現時点では人との協働ロボットを必要とする現場はまだまだ存在するだろう。しかし長い視野で見たときには、人と協働作業をするロボットというのは「過渡期」的ソリューションであり、近未来の生産現場は機械同士が協調する「完全自動化」に向かうだろう。実際、新興国などで新しい工場を設計する際は、フルオートメーションの無人工場を最初から想定するようになってきているようだが、機械同士の協働の圧倒的な生産性を考えてみてもその判断は自然な流れであろう。

 工場の外でもたとえばドローンとクレーン車が連携して土木工事が行われたりしているように、社会は完全自動化に向かっており、それは機械と機械との協調によって支えられるようになる。いわゆるMachine to Machineというシステムだ。
とはいえ、必ずしも機械同士だからうまく協調連携できるとは限らない。人間の場合も同性同士だから、同じ日本人同士だからうまくやれるという保証は無いことと同様、機械もアルゴリズムが違っていては協調は成立しない。

 先日読んでいた北欧のシンクタンクの未来予測レポートでは、近い将来「AI同士が喧嘩するようになる」という見解が述べられていて面白かった。「今日の夕食をどうするか?」とユーザーが尋ねたときに、AlexaとSiriといった異なるスマートスピーカーが「ハンバーガー」「ピザ」などそれぞれ違う提案を行い口論になる可能性があると言う。とはいえそこはさすがに機械なので口論の進め方もスマートで、そのケースでは「最短で配達してくれる」という判断基準をもとに、「15分以内で届けてくれるハンバーガー」という妥当な選択肢をレコメンドしてくれるというシナリオが描かれていた。

 また米・西海岸のスタートアップ企業は、もう少し複雑なテーマ(たとえば「誰が米大統領になるべきか」あるいは「どのサッカーチームが勝ちそうか」等)に対して、それぞれ思考の偏りを持つ複数のAI同士が合議して最適な結論を出すといった「人工集合知」と呼ばれるシミュレーション研究が行われているそうだ。異なるアルゴリズムを備えた機械同士がどのように最終的には協調して合意形成するのか、興味深いところである。

 人間の社会には民主主義という、異なる意見を集めて、比較検討しながら、より望ましい解を導き出していくためのシステムがある。民主主義は人類の偉大な発明品の一つだと私は信じてやまないが、どうもそれが理想どおりに機能していない、おかしな方向へ行っていることも認めざるをえない昨今の世界情勢である。
 機械同士のコミュニケーションは、異なるアルゴリズムを持った同士が感情ではなく理性を拠り所にしてどのように理想的な社会を築くためのアイデアを形成していけるかということを人間に学ばせてくれるかもしれない。
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