〈未来〉をふりかえる
~2025大阪万博で博覧に供されること~
2025年万博の大阪開催が決定した。五輪や万博の招致には消極的な私だが、幼稚園の頃に甲州街道を裸足で走るアベベ選手を応援し、小学5年で出前一丁を食べて家族で「万博」に行ったことを鮮明に思い出せる私にとって、2回目の大阪万博は、我がライフステージを重ねて力んだり期待して、にわかに興味津々テーマに躍り出た。
万博と言えば、ちょうどHRIに来た直後の頃に読んで、とても興味深かった本がある。吉見俊哉先生の『博覧会の政治学―まなざしの近代』だ。本棚の奥から取り出して開いてみた。そうそう、この冒頭の引用から刺激的だったんだ。
「万国博覧会は商品の交換価値を神聖化する。それが設けた枠の中では、商品の使用価値は後景に退いてしまう。博覧会がくりひろげる目もあやな幻像に取り囲まれて、人間はただ気散じをしか望まない。娯楽産業は、商品の高さにまで人間を引き上げることによって、気散じをいよいよ容易にする。自己からの、また他人からの疎外を享受しながら、人間は自ら娯楽産業の術中に陥る」
by ヴェルター・ベンヤミン「パリ 十九世紀の首都」
ベンヤミンは、物質文化の到来と人間に関する思想家だが、上の記述は、彼のパサージュ論の冒頭でもある。そして、「万博は商品という物神の巡礼場である」と、資本主義の中核的な装置としての万博を語っている。
第1回万博は1851年にロンドンで開催された。それ以前の大航海時代で未知の世界を知り、世界を拡げ、産業革命が起こり、さらには重化学工業への第2次産業革命の夜明け前の時代である。まさに、知らなかった世界が見え、知らなかったものを手にとり、知らなかった物質的な豊かさを感じ始めていた時代における「未来を知る装置」だったはずだ。
その系譜は、工業社会を通じて一貫して万博に通底する文化であり価値だった。だから、1970年大阪万博では「宇宙」という未知の世界から持ってきた「月の石」を見るために炎天下に何時間の行列にも耐えた。また、「人間洗濯機」、ドデカい「携帯電話」、各種ロボットが活躍し、人の暮らしが抜群に豊かになるという未知のシーンを見せつけられた。もちろん、私も明るい未来を期待して、自分が大人になることにワクワクした。テーマは「人類の進歩と調和」だった。
一方で、70年当時には既に技術や産業による環境破壊も始まっていた。なんと私は、小学校高学年になってクラブ活動の時間が出来た時、先生から与えられたクラブに興味が持てず、友人達とつくったのは「公害を写す会」という社会派の写真部だった。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど、この当時は既に産業の負の遺産もあったのだ。そして、72年にはローマクラブが「成長の限界」というレポートも出した。
ところで、先日とある企業のイベントにて、おもしろい話しを聞けた。建築家の内藤廣さんと日本中世史の歴史学者である本郷和人さんの対談だ。お二人とも注目してきた方々だ。内藤さんはその中で「心のサスティナビリティ」を支えるテクノロジーの重要性について主張された。本郷さんも、江戸期のまちづくりから「効率のみを追い求めると心がすさむ」と主張され、建築家と歴史家が共に、生産や効率とテクノロジーではなく、「心やうるおいとテクノロジー」の価値を重視すべきと訴えられた。予定調和ではなさそうな気配もあり驚いた。
さて、2025年の大阪万博「いのち輝く未来社会のデザイン(Designing Future Society for Our Lives)」というテーマのもとに、万国から博覧に供されるものは、どんなものになるのだろう?インターネットに覆われて情報が溢れかえる世界に、かつてのような未知や珍品は見つけにくい。物質と消費が万能なユートピアを描く時代は明らかに終わった。近代を見せるという存在価値もない。つまり、フォーキャストの未来ではない。だからこそ、周縁からのデザインに期待したくなる。
私たちHRIは、オムロンのSINIC理論に基づいて「自律社会」そして「自然社会」の景色を描こうとしている。見たいのは「近代の向こう側」、分水嶺の向こう側だ。どんな景色なのだろう?そして、そういう社会への革新力となるテクノロジーを想像しようとしている。そのために、私は「心のサスティナビリティ」というフィルターから未来を望み覧たい。