先日、某百貨店で、「におい展」なるものが開催されており、世界一臭い食べ物と称される塩漬けニシンの缶詰、シュールストレミングのにおいをかいでみたいと思い、参加してみました。そこで感じたことをお話ししたいと思います。
「におい展」では、香水から、くさやや上記のシュールストレミング、ドリアン、臭豆腐、そして体臭、加齢臭など、においの対象物が、それぞれ密閉された空間に配置され、においを楽しむ?展示になっていました。くさいにおいを楽しんだ後、コーヒー豆をにおいで、口直しならぬ鼻直しを行い、次の臭い/匂いを楽しめる展示で、ダイナミックに変化する感覚が楽しめました。
その前ににおいについて、考えてみました。
においは、空気中を漂い、五感の一つである嗅覚を刺激するものです。嗅覚は、視覚、聴覚と同様に対象と非接触で認識できる感覚です。
また動物では、においを感じることで、食物を探したり、食べられるかを判断したり、天敵を察知したり、生きるための重要な役割を果たしています。植物においても、花や実のにおいで虫や動物を呼び寄せて、受粉させたり、虫や動物に食べられたりすることでその種を遠くに運んでもらうなど、繁殖のためにも利用しています。人間においても、食べ物のにおいを嗅いで賞味期限を確認することが多いと思います。つまり嗅覚は、危険を察知することや、繁殖行為のためのきっかけなど、原始的かつ根源的な感覚であり、人類皆が同じ感覚で、臭いものは臭いと感じ、いい匂いはいい匂い、なのだと、思っていました。
実際ににおいを嗅いで、私としては、臭豆腐のにおいが、最も臭く感じました。腐った臭いで、食欲はおきないし、食べたら病気になるとさえ感じました。危険度が高い臭いであるとともに、生理的に受け付けないものでした。シュールストレミングは、くさやのにおいに似たものを感じ、まだ耐えられると感じました。加齢臭や足のにおいなどは、私自身の年齢を考えると納得感のあるにおいであったと思っています。
ところが「におい展」に行った人や、参加していた人の声を聞いてみると、シュールストレミングがダメだ、いや臭豆腐のほうが臭い、足の臭いに悶絶した、加齢臭に嫌悪感がよみがえった、など、様々な意見がありました。最臭が臭豆腐ではないことへの驚きと、においに対しては、その人が置かれた環境や、様々な記憶と結びつき、頑な意見が多いと感じました。
そこで、もう少し嗅覚について、調べてみたところ、1991年にAxel博士、Buck博士が、匂いの受容体遺伝子の発見と嗅覚感覚の分子メカニズムの解明を行い、その業績に対して、2004年ノーベル生理学・医学賞が授与されたとのこと。嗅覚のメカニズムが明らかになって20年程度ということがわかりました。
人間がなんらかのにおいを嗅ぐと、さまざまなタイプの分子が混ざったまま、鼻の奥にある嗅覚受容体付近を流れる。ここで、流れてきた特定の分子に反応する形の受容体だけが活性化することで、脳は、どの受容体が活性化したかという情報を受け取り、その活性化したパターンをにおいとして解釈、認識する。
この脳の解釈、認識パターンは、おおざっぱにいうと他の感覚も、嗅覚と同じで、視覚の場合だと、視覚の受容体(赤、緑、青、明暗、動き)が光の波長を受けて、特定の受容体が活性化することで、色や形を解釈、認識しています。ところが、その受容体の種類は、視覚(色覚)は3種類、味覚は甘い、辛いなど数十種類など、嗅覚は約400個もある。つまり、視覚、味覚に比べて、嗅覚は多くの受容体を持つことから、もっとも多様性をもつ感覚であることがわかりました。
ここまでわかると、「におい展」での様々かつ頑な意見についても、納得感が生まれてきました。
嗅覚の仕組み自体が、多様な解釈ができる下地であり、多様な意見を生むのだということ納得しました。つまり人間の機能や仕組みを知ることで、多様性を学びました。
また、受容体の種類が少ない視覚や味覚においても、多くの芸術作品や料理など多くの文化が存在していることから、人間における無限の多様性を改めて認識しました。
嗅覚においても、においの分子と、脳内での認識には、まだまだわかっていないことが多いとのことです。
都市伝説にように語られている「かき氷シロップは着色料と香料が違うだけで、実はどれも味の成分は一緒」とか、同じにおいを、臭いにおいであるとインプットしてから嗅がせた場合と、いいにおいとか食べ物の臭いであるとインプットして嗅がせた場合では、感じ方が異なるなど、まだまだ興味深い問いがありそうです。
身近なところに気にかけて、問いを発し、それら問いを解明していくことで、新たな知見と新たなソーシャルニーズが得られると思います。
先日満開になった桜や、通りに咲いている乙女椿の花のにおいを嗅ぎながら、ソーシャルニーズを考えて、楽しみたいと思います。
(写真は、九品仏川緑道の桜と乙女椿)