新年、明けましておめでとうございます。
2015年もHRIの研究員コラムをよろしくお願いいたします。
***
年末年始、何かと体調を崩しやすいこの時期、私も病院や薬局にお世話になる機会があった。医師や看護師、薬剤師さんに「お大事に」と声をかけられると、気持ちも若干弱っている身には染みるものである。
だが最近の医療や福祉の現場では、考えなしにあいさつのように患者に「お大事に」と声をかけるのは問題ではないかという意識が、徐々に共有されつつあるという。
私がそれを読んだのは『「動かない」と人は病む』(大川弥生・著)という本でなのだが、ここでは「生活不活発病」という、読んで字の如く、生活が不活発なことによって起こる病が紹介されている。たとえば東日本大震災による被災地での調査によれば、震災後から約半年後、それまで元気だった高齢者の4分の1が「歩きにくくなった」と訴えるようになったという。原因はまさしく「不活発な生活」である。周囲の道が危ないから外出できない、住宅の中も狭い、仕事や趣味がなくなった、訪問したい知人がいない、ボランティアや支援スタッフがすすんで色々やってくれる、災害時にスポーツや散歩なんて不謹慎だという心理...といった様々な要素が、人々の日常的な活動度を低下させていたのである。
こうした分析結果に基づき、本の著者である大川氏は、これまでの「安静第一主義」に疑問を投げかけ、本人が「積極的に動くこと」の推奨と支援こそが人々を「よくすること」につながるという、新たな医療や健康づくりへの考え方を提唱している。
インフルエンザや風邪といった急性疾患の患者に「お大事に」と声をかけるのは、確かに正しい。熱や咳がおさまるまで無理な活動は控え、安静にベッドに横になることが有効だからだ。
しかし、生活習慣病やがんを含めた慢性疾患を抱えた人々も増える中、病気とは、排除して完治すべきものばかりではなく、馴れ合いうまく付き合うべきものにもなっている。前回のコラムにもあった通り「人の健全な機能や能力までもを低下させない」支援のあり方を考えていく必要がある。患者だ病気だとカテゴライズし、「お大事に」してもらうことだけがケアなのではなく、ベッドから離れ、できる範囲で自力で歩いて動いて生活してもらうことを支えることも、人間のQOLを実現する新たなケアのあり方として重要になってくるだろう。
話題のパワーアシストスーツやパーソナルモビリティ等が、人々が自力で動ける、積極的に動き回れるようになるのを支援するツールとして期待される。ただこうした技術はあくまでツールだ。震災後のさわ調査が明らかにしたように、人々が「動く」ことの根底には、動く「目的」「動機」「欲望」がある。それを誘発するのは、何も大掛かりな先端技術だけではない。例えば四季ごとの自然の変化や、スーパーの安売りチラシ、近所の喫茶店のモーニング、といった一見些細なことが、日常活動がなまりがちな高齢者にとっての積極的な行動への動機づけと役立っている。高齢者に限らず、プロジェクションマッピングを見にいく、とか、
Ingress のゲームのレベルを上げるために出かける等、動く理由は何でも良いが、「健康づくり」とは無関係の、各々の楽しみのために人々は動き回り、その結果、身体活動が活発になって気持ちも充実するというシナリオが、人々の健康を実現する方法として理想的ではないか。
技術もサービスも、本人に代わって何かやってあげたり、ユーザーに一方的に使役してユーザーをラクにするものばかりではなく、ユーザー本人が身体を動かすための目的や動機づけを与えたり引き出したりするようなものが、これから必要さを増していくように思える。