COLUMN

2014.01.15中野 善浩

文武両道という好循環

マラソン人気が高まっている。抽選倍率が10倍を超える東京マラソンをはじめ、申し込みが出場枠を大きく上回るレースも少なくない。もちろんマラソン自体に魅力があるのだろうが、市民ランナーをめぐる環境の充実も、人気の要因のひとつだろう。例えば、足腰への負担を軽くするサポーターやソックス、個人の足に合ったシューズ、眼の疲労を軽減するサングラスなど、いろんな使えるものが増えてきた。また、トレーニングの方法、望ましい足の運び方、身体づくりのレシピなど、多くの役立つ情報も容易に入手できるようになり、費用を負担すれば、初心者でもプロのコーチから指導を受けることができる。
もともとは、トップアスリートのパフォーマンスを上げるために研究・開発された、最新の知見や技術、製品が、トップレベルの競技の場で実績を上げてきた。やがて、それらは多くの人が利用できるようになり、素人なりに自らの可能性を追求できるようになってきた。同じようなことは、マラソン以外のスポーツでも見受けられる。
 
かつて練習中の給水は控えるべきとされてきたが、いまでは適切な水分補給が推奨されるように、スポーツの世界でも、従来までの常識を覆す考え方が出てくることが少なくない。科学技術の発達により、人間の眼の分解能を超えた動きを分析することが可能になり、筋肉の状態や疲労度なども定量的に計測できるようになってきた。すなわち科学や学術が、スポーツの可能性を広げているのである。工学や医学などに比べると、スポーツでの科学的研究の歴史は浅く、これからも新たな知見が次々に生み出され、活用されていくだろう。
 
ところで近年、スポーツが知的活動の支えになるということも、科学的に明らかにされつつある。例えば、適度な強度の運動は、神経の新生をうながし、認知機能を活性化させるという研究報告もなされている。身体を動かすことだけでも脳に好影響を及ぼすだろうが、一定の目標やゲームプランのもとで考えながらプレーし、あるいは、変化する状況に臨機応変に対応していくことは、さらに脳を活性化させることになる。
日本では文武両道という徳目が重視されてきた。それは力や武器を持つ者が、地位にふさわしい学問を修めるべきという、義務のように見られていた。しかし文と武は、相乗効果を生み、互いを高め合う関係にあるのである。
 
新たな知や価値の創造が、社会や組織の成長の源泉になると言われる時代である。そのためには身体を動かすことは非常に重要であり、スポーツを、現代の武に見立てることができるだろう。一人ひとりがそれぞれに合った方法でスポーツを楽しめば、身体は健全になり、精神的にも豊かになる。ひいては社会としての知的生産性が向上し、経済成長に結びつく。健康な人が増え、社会保障の負担も軽くなる。科学や学術に振り向ける原資に余裕も出てくれば、さらに深くスポーツを研究することができ、新たな知見が発見される。社会として、また個人として、文武両道という好循環を形成できるのではないだろうか。
 
生活習慣病の増加が懸念され、子供たちの体力が低下するなか、ずっと以前から運動することが推奨されているものの、残念ながら運動習慣は広く定着していない。その点でも、運動より、むしろスポーツだと思う。スポーツにはルールがあり、そのなかで自分なりのスキルを習得し、向上させることができる。ルールの共有を通じて仲間ができ、応援し合うこともできる。漠然とした運動では、それらは得にくい。
いろいろなスポーツがある。多少のたしなみとしての文武両道もあるだろう。誰もが楽しめるはずである。
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