COLUMN

2013.10.01中間 真一

生きもの化する機械

猛暑の夏が過ぎ、天高く突き抜ける青空と黄金色の稲穂、畦の真っ赤な曼珠沙華が絵になる美しい季節がやってきた。その秋空にホバリングするアキアカネの姿を見て、あれほど複雑なホバリングの羽づかいの妙に、トンボはどうやってたどりついたのだろうと考えてしまうのは私だけだろうか。
 
 1ヶ月前の澤田さんのコラムで、メディアアーティストの八谷和彦さんとのディスカッションの話題が紹介されていた。あの場で紹介されて、私が「すごい!」と思ったことの一つに、ドイツのFESTO社という企業がつくったトンボのロボットがあった。この企業は、毎年のように極めておもしろく、優れた技術水準のロボットのプロトタイプをハノーバー・メッセ等に出品し、話題を呼んでいて有名なのだそうだ。これまでにも、本物のカモメと見間違うような滑空を披露する鳥ロボットもつくっている。
 
 YouTubeからもトンボのロボット映像を見ることができるが、本物のシオカラトンボと見間違うような姿だ。リモートコントロールで飛び始めた映像は、ロボットと言われなければわからない人もいるだろう、精巧な羽ばたきで空を舞う。本物のトンボのように、ホバリングからの急旋回を披露するのは難しそうだが、とにかくその飛行の姿には心を奪われる。そして、本業と直接の関係もなく、商品化するでもない、このようなプロトタイプの技術開発をできる企業の技術力と哲学、懐の深さに驚かされる。
 https://www.youtube.com/user/FestoHQ
 
 
 このような、「心を奪われるような」グッとくるものや技術を他にも探す時、そのモデルを生きものの原理に据えていることが多いことに気づかされる。人間の脳に近づき超えようとする人工知能やコンピュータの技術開発も、生きものや人間自身の脳や神経システムへの接近と言える。昆虫に学ぶ高度なセンシング技術もまたしかり。ロボット技術やICTを中心に、まさに生きもの化が進み始めていると言えるのではなかろうか。
 技術開発の歴史は、これまでも自然界の知恵や原理を人工物に置き換え、自然界以上のパフォーマンスを実現させてきた側面が大きいことは事実だ。サイバネティクスもその一側面と言える。そして、社会や科学技術の進化に伴い、自然からの学び方も進化している。
 そのような自然界に学ぶ技術開発、すなわち「バイオミミクリー」の名づけ親であるジャニン・ベニュスは、その基本概念を以下のような自然への向かい合い方として主張している。
1)モデルとしての自然
2)モノサシとしての自然
3)師としての自然
 モデルとしての自然とは、生きものの優れた形態、機能の模倣による技術開発であり、モノサシとしての自然とは、革新的技術の正しさを生態系の中でいかに持続可能にし得るかを測る尺度、師としての自然は、人が自然の中であるべき関係性を自然の中から学ばせてもらうことだ。
 
 大きな世界的な人間社会の転換期を迎えている現在、このような「自然」をモデルとし、モノサシとし、師と仰ぐ技術文化を大切にすることは、これまでの工業社会の延長線上にある時以上に、さらに重要になっていると思う。それは、自然を克服、制圧する技術というよりも、自然の中に生きる人間の技術という方向に大きく舵をきっているのではないだろうか。オムロンの未来予測に位置づけられている「自然社会」というコンセプトや、そこでの未来技術も、これに近いものではないかと考えている。そして、次第にその兆しが現れ始めているような予感もある。
 
 
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