梅雨明けして暑さが厳しさを増してくると、夏本番とばかりにビアガーデンなどに人が集い、一年の中で最もビールの消費量の伸びが期待される時期となる。近頃では、各地にゆかりのある地ビールが種類豊富に出回って、さまざまな味わいを楽しめるようにもなっている。
そもそも地のもののアルコールといって真っ先に思い浮かぶのは、かつては「日本酒」であったはずである。しかし、若者を中心としたアルコール離れが指摘される昨今、日本酒は顕著にその影響を受けている。消費量でみてみると、2011年は60万klと、1973年のピーク時との比較では1/3にまで落ち込んでしまっている。もっとも、地酒という言葉に表現されるように、日本各地に酒造りを担う蔵元が1915年当時には1万場あったという。にもかかわらず、2010年時点では約1500場という数にまで激減しているそうだ。以前、京都で蔵元の方に話を伺った際、京都市内には昔は30近くが酒造りをしていたが、厳しい商いの状況も重なってマンションや駐車場へと姿を変え、今では1つしか残っていないとのことであった。日本酒にはお酒という枠を超えた、生活や文化との深いつながりがあることを考えると、時代の移り変わりとはいえこうした現状には惜しい気持ちが募るばかりである。
つい最近、佐渡の尾畑酒造(株)の五代目蔵元・専務取締役である尾畑留美子氏のお話を伺い、そこでは産業として日本酒における3つの取り組みの必要性が指摘されていた。一つは、若年層への啓蒙活動。続く、二つ目は多様な食文化への応用、三つ目は海外への輸出である。なかでも、尾畑氏ご自身が「マーケットを創造しよう」「海外にお酒を出したい」という想いを胸に、尾畑酒造では海外の現地でお酒を扱うディストリビューターとの関係構築に力を注ぎ、輸出に積極的に取り組まれている。それによって、日本酒の需要の引き上げはもちろんのこと、日本酒文化の伝播、そして佐渡という地域の発信力の高まりの可能性が広がっているという。
実際、佐渡だからこそできる発信の形として、廃校となった小学校を酒蔵にして地域の"学び"や"交流"の場としていく。また、佐渡といえば特別天然記念物の朱鷺で有名であるように、"環境"を軸に据えた地域づくりを進めていく。まさにこうしたことが地域の活力向上や農業振興、海外との繋がりへの足掛かりになろうとしている。
酒蔵であるため、お酒を造って販売するという事業の面が当然ある一方、その活動姿勢には地域と共存する家業という位置づけがうかがえる。そのことが、「佐渡のお酒」という個性を語るものづくりとして洗練が進み、より深化しながら次の代へも受け継がれようとしている。
大量生産、大量消費という社会からの転換期にある現在は、社会や暮らしに目を向けた発想がより求められようとしている。日本酒という、製造には酒蔵の規模によって限りあるものが、人々の生活を彩り、地域の文化を表すものとして固有の価値を提供している。また、その価値は地域の生態系の中で創造され、より良い循環を生み出すことにもなっている。社会や暮らしの身近なモノやコトを通して、価値創造に向けた一つのヒントとしていけるところが少なからずありそうだ。