COLUMN

2012.05.01中野 善浩

他者を愛すること

  「持つこと(to have)」「自分であること(to be)」、あるいは「行動すること(to do)」の起点となるのが個人の欲求である。 そして個人の欲求を説明するときに、もっとも頻繁に引用されるのが、アメリカの心理学者マズローの欲求5段階説だろう。人間のもっとも基礎的欲求は「生理的欲求(睡眠、食など)」であり、それが満たされると、人間はより上位の「安全欲求」を求める。そして安全欲求が満たされると、さらに上位の「所属欲求」、「社会的承認の欲求」、「自己実現の欲求」へと向かうことになる。アメリカンドリームがごとく、より上位を目指すべきという含意も感じられ、抵抗感を覚える人も少なくないようだ。
 
 マズローの欲求5段階説が有名になったのは1960年以降であるが、同時代の日本の文献のひとつに『人間解放の理論のために(真木悠介)』があり、そのなかでは人間には大きく2つの欲求があるとされている。ひとつは原初的欲求であり、①生理的欲求、②社会的欲求、③道徳的欲求、で構成される。もうひとつが実存的欲求で、④創造する欲求、⑤他者を愛する欲求、⑥自己を高めたい欲求、の3つからなる。欲求5段階説と、とくに大きな違いがあるとしたら、5番目の「他者を愛する欲求」の有無だろう。個人的には、この欲求があると仮定した方が、社会の事象を理解しやすいし、また、いまこそ大切にすべき欲求だと思う。
 
 話は飛躍するけれど、女性アイドルグループ「AKB48」の熱狂的なファンは、単純に彼女たちが好きなのだろう。そしてAKB48をプロモーションする側は、「彼女たちが好き」というファンの欲求を実際の行動に移せる場として、握手会や総選挙などを設けているのだと思う。ファンの行動は、社会的認知や自己実現などへの欲求ではなく、他者を愛する欲求に由来する。そう説明した方がわかりやすい。
 
 さて「自分であること(to be)」を確認するためには、他者との比較が大きな参考情報になる。また、長じて社会に出ると、当然のことながら一定の役割を果たすことが要求される。役割や実績などが何らかの形で他者から評価され、人間関係や社会的地位となっていく。そのような他からの評価が自分に積み重なってゆく。そのために、愛することよりも、ともすれば周りから愛される存在になりたいと考えがちになる。いまの社会に、思い当たる風潮ではないだろうか。しかし本来は、みずからが誰かを愛することが先にあって、その反作用として、愛されるという関係が生まれるのだろう。「友愛」などという客観的な概念ではなく、感情を伴う行為の結果として。
 
 消費増税、税と社会保障の一体改革、格差拡大など。先行きが見通せず、不安な空気も漂っている。そんなときだからこそ、何かを愛するという態度が大切ではないのだろうか。愛する対象があるからこそ、少々の不足はあっても、満足して暮らしてゆける。殺伐とした周囲の雰囲気も和らげてくれる。難局も乗り越えるためにも、愛する何かがあった方がいい。愛されることより、まず愛すること。
 
 ところで、アメリカでは日常生活のみならずビジネスシーンでさえ、ラブ(love)という言葉が頻繁に使われる。主体的な意思として示されることが多いと思う。それを日本語で使われる愛と、同じ意味だと解釈することはできないが、ラブという態度は、アメリカ社会に根付いていると見ることもできる。すなわち、アメリカ生まれのマズロー欲求5段階説の奥底には、愛するという精神が流れている。ある主張を理解するには、背景を理解することも必要である。蛇足であるけれど。
 
※記事は執筆者の個人的見解であり、HRIの公式見解を示すものではありません。 
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