シリーズ「おひとりさま社会考」#1おひとりさま社会の到来と未来
6月末、昨年2010年秋に実施された国勢調査の抽出速報集計が発表された。私が最も注目したのは、「一人暮らし世帯比率が3割を超えた(31.2%)」ことだ。「夫婦と子どもからなる家族(28.7%)」を調査開始から初めて抜いてトップとなった。ちょうど4年前の今頃、かの上野千鶴子教授が著して話題となったタイトル「おひとりさま」社会の本格的到来だ。
ちなみに、総人口に占める65歳以上(老年人口)比率は、5年前の前回調査から約3ポイント上昇の23.1%、2位のドイツ、イタリアを抑えて世界一の高齢社会。さらに、15歳未満(年少人口)比率は前回より下がって13.2%、日本以上の少子社会はマカオと香港のみだ。
HRIでは今年3月に『科学技術と自律社会vol.4』という研究誌を発刊(近日ウェブ公開予定)した。そこで私は、未来社会のキーワードとして「単独世帯の増加」を取り上げ、日本の30年後として「高度単独世帯社会」という像を描いた。その時に使った国立社会保障・人口問題研究所の2008年推計データでは、2010年の単独世帯比率はピッタリ31.2%、そのままデータを信頼すると2030年には37.4%、さらに上昇していくことになる。「向こう三軒両隣」という昔からの「ご近所さん」、既に都市部では共助のコミュニティとして機能していないことが多いが、両隣の中で一軒以上、向こう側にも一軒以上の「おひとりさま」が暮らす社会が現実となっていう近未来なのだ。
社会の「おひとりさま化」は、もちろんお年寄りに限らない。既に私の暮らす東京都などは4割超の単独世帯比率であり、その多くはもちろん若者たちである。未婚化、非婚化、晩婚化も進んでいる。年齢の低い方からも、高い方からも、「おひとりさま化」が進行中というわけだ。
先に紹介した上野千鶴子さんのベストセラー『おひとりさまの老後』を、生活研究者として私も当時読んでみた。そこで繰り返し出てきていた「おひとりさまに対する脅し文句」があった。一つは「歳とったらさみしいわよ」、もう一つは「だれがあなたの世話をするのよ」である。もちろん、著者は「よけいなお世話だ」と言い切って、おひとりさまで生きる魅力を説いていた。
上野教授のように元気で意志の強い人は「よけいなお世話」と言ってのけられるだろう。しかし、多くの人にとっては一番の心配であるのが事実だ。しかし、日本社会はますます「おひとりさま化」が急進する。特に、これまで「高齢おひとりさま社会」と縁遠く感じられていた東京など大都市で、急激に進むことになる。いろいろな問題、いやソーシャル・ニーズが想起されよう。さあ、未来生活、未来社会研究所のHRIとしては、何を考え、どんな行動に出ていったらいいだろう。これを今回のコラムシリーズのお題としたい。
これまでは、家族という最小の社会単位の中で「分業」をして、私たちは暮らしを維持向上させてきた。70年代半ばに物議を醸したカレールーのCMに「わたし作る人、ぼく食べる人」という若い夫婦のやりとりがあった。食べる人=稼ぐ人、作る人=支える人、という家族内の分業体制による幸せな家族像である。これに「子ども」という「未来を継ぐ人」も囲い込んでおけるゆとりも備えていたのが、かつての普通の家族(いまだに夫と専業主婦と子ども二人が標準世帯と設定されているように)と言えるだろう。
ところが、「おひとりさま社会」となると、世の中は「わたし食べる人(=稼ぐ人)」ばかりが点在する社会になる。ということは、支える人の機能を外側に求めなくてはならない。すなわち「暮らしを支えるサービス」だ。国内マーケットとしては、今後ますます「おひとりさま御用達」というサービスは、対象顧客を老若男女さまざまに設定し、急速な進化を遂げることに間違いない。
しかし、「支える」という情緒含有比率の高いサービスは、経済原理、市場原理、あるいは一対多の関係のサービスの中で、これまでと同等、それ以上に成立し得るのだろうか?という疑問が古い価値観を引きずる私の中では頭をもたげ始めてしまうのが正直なところだ。やはり、私は「おひとりさま社会」が今のまま進行していくことを、幸せな社会の方向として手放しに喜べない。どうしても「孤立社会」という負の「おひとりさま社会」の側面が気になるし、今回の震災後の暮らしに映し出された社会の姿からも、持続性のある安心社会への障害を感じてしまうからだ。もちろん、「家族のしばりよりも、家族の外側でつながりをたくさん持てた方が幸せだ」という論もあるだろう。その中間には、新たな家族の姿もあるかもしれない。でも、まだまだ私はものわかりよく「おひとりさまもいいじゃない」とは言えないなあ。