COLUMN

2004.01.01中間 真一

素直な若者たちの生き方─マイ・ステージに生きるカッコよさと苦悶─

 新年明けましておめでとうございます。
 今年のHRI社会研究部は、これまで3年間のプロジェクトの総編集に取り組みます。そして、オムロングループとして予測する未来社会コンセプト、『自律社会』の生活像をあぶり出していきます。そこでは、空理と形式ばかりの自己満足に陥ることなく、現場感覚に徹した、具体的改善につながる活動の実際を強く意識していきます。そして、情報創造と発信により、みなさまとの兆しの創発を目指します。ぜひとも、現場感覚豊かな読者のみなさまからの、歯に衣着せぬ物言いをいただきたく、今年もよろしくお願い申し上げます。

 さて、昨年後半より、わたしたちが取り組んでいるプロジェクトのひとつに、若者(20~34歳)を対象としたライフスタイル調査があります。もちろん、アンケート調査を実施しましたが、それだけでは全く十分ではありません。そこで、様々な立場の若い人たちからの聞き取りや、若い連中同士の会話にも積極的に耳を傾けてきました。この結果から、どうやら「フリーター問題」等に象徴される「ダメな若者論」とは違う、若い人たちとこれからの社会の行方を、私は感じ始めています。中でも、20代前半の人たちに、見どころがありました。80年代前半に生まれ、90年代を通じて世の中の自分を感じて育ってきた人たち、減速停滞時代の人たちです。大学進学率が半数に近くなり、「大学卒」という学歴だけでは、もう価値にならなくなってしまった大学生です。

 今年最初のコラムでは、少し長くなりますが、この若い人たちとのやりとりのいくつかを紹介しつつ、今年の活動の抱負につなげたいと思います。

 阪神間の女子大を訪ねた時のことです。バイト、サークル、授業やゼミ、それぞれの優先順位でスケジュールがぎっしり埋まった彼女たちからは、世の中、大人社会、体制に対する抵抗や恨み、不安や不満の類のメッセージは発せられません。憂いの影も見あたりません。大学に学問をしに来ている風でもありません。おもしろく、カッコよく、得しながら社会勉強しています、ということのようです。まず、この冬の青空のような底抜けの明るさに驚きました。その中の一人が、「わたしは輝きたい」と言いました。それを茶化すどころか、「わたしも輝きたい」と、同感の声もあがります。これこそ、おもしろく、カッコよく、得する生き方を言い表しているのかもしれないと、私はその場の雰囲気で納得してしまいました。後で、彼女たちの指導教授は、「彼女たちの生き方のモデルは、芸能界ですなあ」と言われたが、そのとおりなのです。しかし、彼女たちの目指す輝いた姿は、芸能界のトップスターでなくてもよいのです。どうやら、足下の少し先にあるステージで、わずかな人しか認めてくれなくても、たった一つのスポットライトしか当たらなくても、マイ・タレント(才能)を活かせる舞台に上がれる生き方を目指しているということなのです。

 じつは、これと同じことを感じたことがありました。フリーターの男女から話を聞いていた時です。音楽活動を続けたい。自分なりの出版編集を手がけたい。映画制作を続けたい。芸人としてやっていきたい。彼らは、夢追いでも、あきらめでも、モラトリアムでもなく、そんな類型で切り分けられる人たちではありません。あくまでも、マイ・ステージを守るために、そのような生き方を選んでいるのです。正社員となって働く生き方、それは、彼らにとって、働く以外のマイ・ステージを捨てる、あるいは優先順位を落とす生き方なのです。

 『アイデン&ティティ』という映画を観ました。かつて原作の漫画も読んでいたのですが、分厚く難解な本より、アイデンティティのことを考えるのに、ずっと役に立ちました。「私は、明確なアイデンティティを持っている」なんて言い切れる人は、よっぽどたくさんの自分を切り捨ててきた、自分貧乏の強がりなのだろうと感じてしまいます。アイデンティティとは、自分と、世の中との、その時々の折り合いのつけ方であって、世の中と生きていく限り付き合っていく、わたしたち人間に埋め込まれた宿命的な仕掛けではないでしょうか。

 トップレベルの大学で生命工学を研究する大学院生と話をしました。彼女は、実力主義、合理主義、アメリカ的個人主義に懐疑的です。それは、エリート然とつくろったものではなく、よくよく考えた本心なのだと納得できました。しかし、彼女の話は何度も何度も、「確固たる自分を持たなくてはならない」に戻ってきて、揺らいでいます。その部分に今を生きる若い人らしい悩みが感じられたので、私も執拗に深入りして聞いてみました。そして次の彼女の言葉に、私はハッとしました。「わたしたちの研究は、結局競争です。セレラ社のように、合理主義、効率主義、実力主義、個人主義に徹して、ヒトゲノム解読を先に完了してしまう方が、後から完璧なデータを出す世界的国家プロジェクトよりも、やはりスゴイんです。わたしたちは、日々世界の研究者と対峙して、しのぎを削り合います。その対峙の場では、自分をはっきりと持てる人が勝ってしまうのです。だけど、日本人の私はそうなりきれずに悩むのです」先端領域のバイオ研究者でありながら、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』が愛読書という彼女らしい素直な一言でした。彼女のマイ・ステージには、確固たるアイデンティティ達成が必要なのです。しかし、捨てきれない自分がたくさんあるようです。およそ20年前のわたしの大学生時代とは、もはや自分と他者を囲む土俵の広さが圧倒的に違うようです。そして、もはや"Our stage"を持ちきれない時代ゆえに、"My stage"を持ち続けたい時代のようです。若い人たちは、そのことに高感度に反応しているように感じます。これは、自律社会を考える原点かもしれません。ここに書ききれなかったことは、ぜひ3月末のレポートを読んでみてください。
(中間 真一)
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