MONOLOGUE

2021.03.19

「恩」、そして ”Give is Take ! ”

 世界は、まだまだ厳しい状況が続いている。しかし、沈黙の春は免れて、冬の次には春が巡ってきた。ミモザや菜の花の黄色、モクレンの純白、沈丁花の香り、桜の蕾のふくらみ、あたたかな風、明日は春分の日だ。
ほっとする春の訪れ!

 今週、オフィスに出た往き帰りに、何人かの羽織袴姿の若い女性とすれ違った。卒業式だ。コロナ禍の下での最終学年、研究室への出入りの制約もあっただろう。ゼミ仲閒と卒論の相談を直接することも難しかったろう。最後の定期戦も中止されたかもしれない。卒業式も限られた人たちだけで、謝恩会もできないのだろう。けれど、その記憶をポジに反転させてほしい。
未来への糧!

 卒業式の謝恩と言えば、僕の世代は♪仰げば尊し、我が師の恩♪だ。じつは、「恩」ということを最近考えている。そのきっかけは「恩送り」という言葉を知ったからだ。僕は「恩返し」しか知らなかった。どうやら、江戸時代には普通に使われていた言葉らしい。つまり、恩は受けた人に返すだけでなく、誰かに送るのも当然だったから言葉があったのだろう。
恩送り!

 ハッとした。じつは、以前からGive and Takeとか、Win-Winという表現が(特に仕事の場で)疑いようのない正しい、望ましいことのように使われていることに違和感があったからだ。そういう僕も仕事場で何度も使ってきたのだが。なんだか、世の中のコミュニケーション、やりとりは、すべて「取引関係」にあることが大事だと言われているようでならない。そうだろうか?常に、自分と他者の間では、リアルタイムで等価交換のやりとりをすべきなのだろうか?僕は、それに馴染めない。我が師の恩は大きいけれど、僕はいまだに返せていない。親からの恩や尊敬する上司に対しても同様だ。しかし、時を経て、次世代に、受けてきた恩を送りたいと思っているし、一方的だが、少しはそうしている自覚もある。
取引ではない恩!

 先週末に東工大 未来の人類研究センターが主催した「利他学会議」が開かれた。とても多くの共感点や知識を得ることができた。つまり、多くのTakeがあった。そして、その話しの中で、驚いたことに登壇者の一人からGive and Takeの話題が出た。その話者も僕と同様、違和感を表明した上で「andじゃなくて、Give is Take !」と言い放った。
快哉!

 最近、我々HRIではSINIC理論のウェビナーやワークショップを積極的に開いている。その先日のワークショップで若い男性が「今まで寄付なんて怪しげな感じもするし、やったこと一度もなかったのに、自分は雪山登山をするのだけれど、なんだか地球温暖化がまずいと感じて、そういう活動に生まれて初めて寄付してみた。やってみたら、なんだかすごく気持ちいい」と話していた。
気持ちいい!

 僕は、利他学への興味がさらに大きくなった。利他って、とどのつまりはホンモノの利己かもしれない。まだまだ考えどころ満載だ。大学だから「学」にしなくてはいけないだろう。企業では「価値」にしなくてはならない。
だけど、利他がますますおもしろい!

ヒューマンルネッサンス研究所 所長
中間 真一
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