MONOLOGUE

2020.07.25

「満足の文化」とSINIC理論

年を取ったせいか、勢いがあった学生時代の自分を懐古することが増えた。
入学直後、ミーハー感覚と本気の両面から手に取った一冊、当時話題となったJ.K.ガルブレイス『不確実性の時代』は、ハッキリ記憶に残っている。続けて『ゆたかな社会』も読み、正々堂々と批判的姿勢を持つことと、未来は今とはだいぶ違うということを刷り込まれた。そして、物量にものを言わせるゆたかさの経済は早晩終わると確信した。一世風靡した田中康夫『なんとなく、クリスタル』はもちろん読んだが、同時期に話題を呼んだA.トフラーの『第三の波』もインパクトがあった。来るぞ、未来!そう来るか、未来!と興奮した。

先日、ふと、そのガルブレイスの著作の一つ『満足の文化(The Culture Of Contentment)』を思い出して読み直した。この本のメッセージを粗っぽく言うと、ゆたかな社会を実現した先進資本主義社会では、財政も、企業経営も、経済学もすべて、ゆたかな人々の満足度を維持し、高めるためにベクトルをそろええいくメカニズムに支配される。満足せる人々の自己満足社会になるという、資本主義の近未来への警鐘である。それを、経済学者として丁寧に検証している。

彼は、この本の出版時92年は既に84歳、2006年に97歳で逝去された。執筆は、ちょうどブッシュ大統領の最終年であり、まだまだIT革命前夜で、重化学工業中心の最終ステージにあたる。それなのに、彼の近未来経済への警鐘は鋭かった。また、邦訳版の序文の冒頭では、「個々人と集団が願望をかなえようとする意識は、幸福がごくありふれたものになると弱まり、逆境に直面すると強まる。」ということが本書の主題だとした上で、日本経済がアメリカの後を追うように「満足の文化」社会になってしまうことへの警鐘を鳴らしていたが、それは今、その通りの方向に向かっていると言わざるを得ない。

なぜ、私が今さらこの本を思い出したのかというと、SINIC理論の中核に据えられ、社会発展のエンジンとなる「人間の進歩志向意欲」の低下について考えていたからだ。理論構築当時(1970年)の立石一真さんも、まさに懸念していたこのことを、経済学批判の観点からガルブレイスも指摘していたのだ。第2次世界大戦の敗戦国である日本やドイツは、苦痛に満ちた逆境に懸命に立ち向かい、工業社会の発展を遂げてきたが、アメリカを中心とする戦勝国は強い満足感と自己肯定の感情にひたり、満足の文化の中にいる人々のための社会の運営に留まってきたというガルブレイスの構図である。

いわゆる、成長曲線上では日本やドイツも含め、既に先進国の経済成長は鈍化して定常型に近くなっている。世界中が「満足の文化」に向かってしまう中、当然のように経済格差も著しくなっている。しかし、経済学は「トリクル・ダウン仮説」や「サプライサイド・エコノミクス」、「消費税率上昇への消極性」などの政策をフォローし続け、空疎な成長論を唱えて非正規労働者は増え続ける。そして、新たな破壊的イノベーションを担うベンチャー企業の勃興は、一度踊り場を経たアメリカのようには進まない。さあ、我々は今、何をするべきなのか?ガルブレイスが『満足の文化』の最終章のタイトルとしたのは、な、な、なんと「レクイエム」だ。

“Stay hungry, stay foolish”有名なスティーブ・ジョブズの卒業式での式辞は、満足の文化からの脱出のいざないだったのだ。ゆたかな社会へのStay hungryの社会実践、Contentment and Hungryの未来への生き方、社会を、Stay homeの今、考えるタイミングだ。

ヒューマンルネッサンス研究所 所長 中間 真一
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