いつかシーラカンスに会いたい。スキューバダイビングのライセンスを取ったのもそんな理由からだったと思う。めまぐるしく変わる世界の趨勢なんて関係ないと言わんばかりに、太古の昔とは寸分も違わぬ姿で、この広い海深くのどこかでマイペースにひそやかに泳いでいるであろう"彼"の存在は、なんだかとても哲学的にも思えて、憧れずにはいられない。
そんな私の幼い日からの憧憬を蘇らせてくれた今回の『てら子屋』。舞台は、日本が誇る潜水調査船「しんかい6500」で深海生物の調査や研究を進める、横須賀の「海洋研究開発機構(JAMSTEC)」本部だ。
当日、まず初めに、「深海」のイメージを参加してくれた子どもたちに描いてもらった。すると、黒いクレヨンで、手や白いテーブルを真っ黒にしながら、画面全体を黒で塗りつぶしている子が多い。彼らにとっての「深海」は、「暗い」「静か」「怖そう」「気配はするけど」「何がいるかわからない」、そんな場所だ。子どもだけではなく、私たち人間にとっては、海、しかもその深い場所は、怖くて不思議な真っ暗な闇の世界だ。
その後が本日のメインイベント。実際海に潜っていたことのある人たちが、深海で暮らす魚や生物、深海で調べていることについて、写真や動画や実物の調査船を見せながら、たくさんの話を聞かせてくれた。
ダイオウイカとマッコウクジラはド派手な喧嘩をする。ジャイアントチューブワームは、死ぬまで一度も排泄をしないから、解剖すると体内からものすごい異臭が放たれる。冷たい深海の中でも、高温の温泉が湧き出るスポットがあり、そこは魚のたまり場になっていて、温泉卵も作れるのだそうだ。ウナギは育ちは川だが、生まれは深海。調査船に大きな丸い穴が開いていて、それはスパイでも怪盗ルパンの仕業でもなく、ダルマザメのいたずらだった。などなど。
調査船の壁に盗聴器を取り付けて拾ったという、深海の音も聞かせてもらった。それは調査船から出る音なのだけれど、ゴーとかキーンとか、それが水中という条件と海の岩の反響もあいまって、とても不思議な風に聞こえた。
こうした話に、子供たちは熱心に耳を傾け、また大人たちも思わず聞き入り、ともに海深くの世界へ思いを馳せた。深海の世界は、私達の思い描いた以上に楽しげな世界だ。私たちの中の「深海」がどんどん鮮明になっていくのを感じた一日だった。
その『てら子屋』から数日後、参加者の男の子から、事務局宛に「深海」の絵が届いた。丁寧に丸められた画用紙を開いてみると、真っ黒の世界が一転、カラフルな世界に変わっていた。画用紙の中でダイオウイカやチョウチンアンコウなどの魚たちがゆらゆらと泳いでいる。その奥で調査をしている潜水調査船「しんかい6500」。絵の全体には「マリンスノー」が満天の星空のようにちりばめられている。そんな生き生きとした深海の様子が描かれていた。
真っ黒だったキャンバスがカラフルになっていく窶披煤u知る」というのはつまりそういうことではないか。今まで見えなかったものがちょっとずつ見えてくる。輪郭や形が見え、色がわかり、動きを持つ。「知る」ことは真っ黒の世界を照射する光だ。
そこで見えてくる世界は、綺麗なものばかりとは限らない。怖いこともあるだろうし(深海にはクジラをやっつけるイカがいる!)、知らないほうがいいこともあるかもしれない(「マリンスノー」の成分は、魚のフンやプランクトンの死骸!)。
だけど、「知る」ことは、未知の世界に"ワクワク"と"ドキドキ"がいっぱい潜んでいるということを思い出させてくれる。そして、その先の自分の知らない世界を、もっとよく、目をこらして見てみたい気持ちのエンジンになる。だから「知る」ことは、実はゴールではなくスタート地点だ。
私の頭の中のキャンバスに描かれたシーラカンスは、もう、暗く、冷たい海の底でひっそりと暮らしている姿ばかりではない。シーラカンスのすみかの周りには、愉快な仲間やライバルがいて、ひょっとすると温泉なんかもあったりして、時々海面から大きな鉄のかたまりが不思議な音を発しながら潜って来るのを見たりしながら、案外楽しく暮らしているのかもしれない。
シーラカンスとの邂逅はまだ果たせない夢だけれど、彼の暮らす世界が少しでもわかったことで、彼にちょっぴり近づけた気がするし、もっと深く彼のことを知りたい。片想いは募る。
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この4月からHRIの社会研究部・研究員として働くことになりました。「科学の面白さをどう伝えればいいか?」をHRIの諸活動を通じて考えていければと思っています。研究員としても社会人としても歩み始めたばかりの身ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
(社会研究部 澤田美奈子)