「かわらないわね」
アマノ先生が笑って言う。
神奈川・風の谷幼稚園。園長のアマノ先生に初めて会ったのは、もう10年以上も前のことだ。ただしアマノ先生とは、その後毎年のように顔は合わせている。それでも「変わらないわね」といわれてしまうのは、最初に会った時から、冬に顔をあわせるときには、決まって僕がよれよれの赤いセーターを着ているからだ(沖縄に住んでいることもあって、セーターはこの1枚しかもっていないからなわけなのだけど)。
アマノ先生と毎年のように顔を合わせることになったのは、先生の幼稚園への強い思いによる。
「小学校からでは遅すぎる」
本物に出会うのは、早い方がいい。アマノ先生のこの思いが、雑木林や畑に囲まれたこの場所に、幼稚園を一から作る原動力になった。畑での野菜作りや、イナゴ捕り(もちろん、食べるためだ)。それに飼育している羊の毛でのポシェットづくり等々。話に聞くだけだけれど、幼稚園の教育は、子どもたちにできる限りの「本物」を触れさせる機会にあふれている。だから校舎もまた、木造だ。
「でもね......」
何年前のことになるだろう。
アマノ先生は、そんなふうに話を切り出した。
せっかく幼稚園で子どもたちを教育しても、小学校に進学すると、子どもたちはバラバラになって、「普通」の教育を受けることになってしまう。
「だから......」と、先生の話は続いた。
「ゲッチョさん、手伝いなさい」と。
つまり、卒園生を対象として、再教育(?)の場を作ると言うのである。卒園した、小学校1~3年生を半年に一回、園に集めて、自然科学教室をしたらどうかとアマノ先生は考えた。それで、白羽の矢があたったというわけである。
風の谷幼稚園卒園者自然科学教室(とでもいうのだろうか......正式な名を僕は知らない)は、今年で3期目に入った。半年に一回ずつの講座が3年間。1年生でスタートした子は3年に、3年生でスタートした子は4年生まで続く連続講座だ。その連続講座の第1回目は「骨の学校」と題して、僕の骨の授業と、昼食にあわせた実際の骨の観察(一人、1ピースずつ、フライドチキンを食べながら骨を取るというワークである)を行ってきた。が、3期目になる今回は、僕の友人の手も借りることとした。僕の骨の授業、フライドチキンの骨取りはいつもと一緒。加えて、午後にサルの研究者・ハヤイシさんによる「ウンコの学校」が開催されたのだ。
「ウンコの学校」と聞いて、それだけでもう、子どもたちの目は期待でキラキラである。しかし、のっけからウンコの話になるわけではない。ハヤイシさんは、サルの研究者だ。まずは、サル語の紹介からとあいなった。ニホンザルの通常の会話、迷子になったときの発声の仕方、さらにはテナガザルやホエザル、チンパンジーの声などなど。本物そっくり(のはず)の声まねに、もう、子どもたちのハートはわしづかみである。
サル語の練習から始まって、では、サルの日常をどうやって理解するか......という方法のひとつにウンコを調べると言う方法があるんだよと、ハヤイシさんは紹介する。本当なら本物のサルのウンコを調べる体験をさせたいが、人数も多いし、室内作業である。ハヤイシさんは色付けした小麦粉でサルのウンコを模し、そのウンコの中に混ぜてある植物の種を洗い出させるというワークを子どもたちにさせていた。その後、グループごとの「模擬ウンコ」の中身の報告と、その報告からわかったことのまとめ。こうしたワークは、実際のサル研究者の研究方法の模擬なわけだ。
感心したのは、午前中の僕の1時間半の骨の授業に加え、午後のハヤイシさんの2時間を超えるウンコの授業に、1年生も含んだ小学生たちが集中しつづけていたこと。
「すごいでしょ」
アマノ先生が、僕の感心を見取って、自慢げにうなづく。
「でもね、全部の授業とかでこんなふうじゃないのよ。つまんない授業だと、終わったらすぐに、"今日のはつまんなかったな"なんて言っているのよ」
アマノ先生は、こんなふうに付け加えた。それこそ、さらにすごい。「どんな」授業であれ静かにしているのは、ただたんにやり過ごし上手になるように訓練されたにすぎない。授業内容にきちんと集中もできるし、文句も言えるということこそ、本物だ。
学校が「やりすごす」場となりつつある。これは自己防衛としてやむをえない面もある。自分自身、関係省庁から雨のごとく降りてくる無理難題などはやりすごさないと、本務に関わる暇が無くなってしまう。しかし、やり過ごすばかりの時間をすごしていると、学校自体が「虚」の場となってしまうと危惧している。現実に、学校現場全体が......とはまではいえないまでも、授業の多くの時間がそのようになってはいないだろうか。
風の谷幼稚園。そこには「やりすごす」場としての学校ではなく、「たちかえる」場としての学校がある。
授業が終わって、アマノ先生と、ハヤイシさんと三人でお茶を飲んでいると、早速窓の外から、覚えたばかりのサル語で僕らを呼ぶ声がする。