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【コラム】幼子たちの春
鷲尾 梓

 

 桜の花が春の訪れを伝え、新たなスタートの季節が近づいてきた。入園や入学、入社、転職など、大きな節目を前に期待や不安をふくらませている人も多いことだろう。自分自身のこと、子どものことなど、近況報告で賑わうSNSの投稿の中に、読んでからずっと頭を離れない報告があった。

 

 育児休業を終えて、新年度から職場に復帰する友人のもとに、認可保育園の受け入れ可否を示す通知が届いたとのこと。5歳の兄が通っている保育園に、1歳の妹が一緒に通えるよう希望を出していたが叶わず、第2〜4希望も通らなかったため、認証保育園に預けることになったという。兄妹で別々の保育園、それもまったく別の方角に通わなければならなくなってしまった。

 彼女のもとに寄せられたコメントの中には、「うちも入れなかった。上の子の送り迎えのために時短[短時間勤務]にしたことでランクが下がっていた。会社までの距離が遠いことは考慮されないし、これでは仕事するなと言っているようなものだよね」という内容のものもある。

 

 今年度の保育所の定員は229万人で、昨年度から4.9万人増、待機児童数は22,741人で3年連続の減少とされている。しかし、親たちの生の声からは、依然として続く子どもの受け入れ先探しの苦労がひしひしと伝わってくる。子どもたちの居場所がみつからない―新たなスタートであるはずの春は、そんな親たちにとって期待や希望の季節というより、不安や不満、やり場のない怒りを抱えつつもなんとか前に進まなければならない、苦しい季節になってしまっているように思える。

 

 子どもたちはどうだろう。前述のように、きょうだいと離ればなれになってしまうこともある。困難な居場所探しの中で、「春になったら、お兄ちゃんと同じ園に行くんだ」「お友だちと同じ園に行くんだ」「あの大きなすべり台で遊ぶんだ」と、新しい生活への見通しや期待を持つための時間や機会も限られる。短い「慣らし保育」の期間で、新しい環境への適応を求められる。

 保育所の絶対数が不足しているいま、居場所が得られるだけで幸せなことで、それ以上を求めるのは「贅沢」なのだろうか。幼い子どもたちにとって、自分の未来について見通しを持つことは重要ではないのだろうか。

 

 そんなことはないはずだ。大人の側の都合ではなく、もっと、「この子にとって何がベストなのか」という視点で居場所を選び、子ども自身のペースで新しい生活を始められるようでなければならないと思う。

 そのためには、保育所の定員増は必要条件ではあっても、十分条件とはなり得ない。働き方の多様化とそれに連動した柔軟な保育システムの整備、在宅育児家庭への支援などを含め、「両立支援」をより多角的にすすめていく必要がある。

 一日一日が精一杯、現状を受け入れて前進し続けなければならない暮らしの中で、「ベスト」を考え、求め続けることは、親にとって苦しいことでもある。しかし、それを「贅沢な望み」だと、「不可能なビジョン」だと、諦めてしまってはいけないと思う。

 春が、期待に満ちた、待ち遠しい季節であるために。


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