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てら子屋コラム

個性が先か、基礎力が先か
~子どもたちの個性を拓くための教育とは?~
中間 真一

 ストックホルム近郊で保育士をしている、スウェーデンの男性と、野外活動を中心としている学童保育所に勤務するパートナーの2人を、風の谷幼稚園に案内した。スウェーデンには幼稚園は無く1縲怩T歳の子どもたちが通園する保育園のみがあり、小規模の保育園が多数存立しているのも特徴の1つだ。

 彼の担当クラスも19名の3縲怩T歳の子どもたちがいて、保育士が臨時の1名を含めて4名いるという。私の感想としては、集団への教育というよりも、個別対応の教育なのだ。

 当日はあいにくの雷雨模様であったが、登園後みんながそろうまで少し遊んだ後、朝の会からスタートした。まず、そこから、彼を驚かせたようだ。3縲怩T歳のヤンチャ盛りの子どもたちが、「朝の会が始まるよおー」という声を聞くや、間もなく教室に入り、きちんと自席について先生の話を聞き、みんなで声をそろえて歌を唱ったりしていることが不思議であり、統制的に映ったようだ。確かに、私がスウェーデンで見てきた保育園や学童保育所では、みんなそろって何かをしている光景など一度も見なかった。

 次には、木工作や昨日のじゃがいも掘の絵を描いた。先生の指示に従い、次々にプログラムを進め、みんなで同じように木片にヤスリをかけたり、船、箱など、同じ完成形を目指して、同じプロセスで工作を進める様子は、彼にとって、とても違和感があったようだ。「それぞれの子どもには、それぞれにやりたいことがあるはずだし、それぞれに作りたいものも違うはずだ。みんなで同じことをするよりも、一人一人の気持ちを優先させた保育をすべきではないか」というのが、彼の主張だ。

 確かに、国内でも一人ひとりの適性に合わせて持ち味を伸ばそうと主張し、一斉型プログラムに否定的な人たちはいる。彼らの情報源とも言える欧米、特に北欧の保育士から見ると、大きな驚きであったろうことは想像に難くない。

 しかし、もちろんこのような意見を知った上での風の谷幼稚園の保育である。これらのプログラムは、子どもたちの可能性を拓くために、経験と実績に基づく確固たる信念を持って、それに必要な教員の質をもって進めているやり方だ。中でも、木工作は、3年間の幼稚園生活を通じて技量を上げていくカリキュラムの一つである。「どの子もベーシックな生活技術を身につけ、それを積み上げていく過程を経てこそ、初めて自分の中で楽しさを味わうことができ、仲間と助け合いの関係をつくり、自分が得意で熱中できるプログラムかどうかの選択ができるようになる」と考えるがゆえの保育実践だ。

もしかすると、今回のスウェーデンと風の谷の両者の間には、本来差異は無いのだろう。どちらも、子どもたち一人ひとりの能力を開花させ、自力を発揮することによる満足を得、さらに得意な領域を伸ばすことを目的としているのだろうから。よって、両者は、「ニワトリが先か、卵が先か」の問題であり、文化的特性に由来する違いかもしれない。しかし、私はやはり「基盤となる生活技術無くして、個性や適性にはたどりつけない」と考えている。そして今、聞こえのよい「個性重視教育」という名のもとに、子どもたちの基盤力形成をないがしろにする無責任教育がまかり通っている幼児教育や初等教育の現状に対し、改めて危機感を強くもつと共に、異文化の刺激の効果を感じた一日だった。


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