ゴールデンウィークも明けた5月下旬となると、あちらこちらの小・中学校で運動会が開かれる。私も、週末は運動会見物に出かけた。そして、マスゲームや組体操に真剣に取り組む子ども達の姿、学年対抗リレーで低学年に敗れて悔し涙を流す最上級生の姿に、場の大切さをつくづく感じて帰ってきた。ところで、この運動会というイベントは、なんのために、いつ頃から始まったことなのだろう。
そう思って本を探すと、『運動会と日本近代』(青弓社)という本が見つかった。それによると、日本で初めての運動会は明治七年に海軍兵学寮で開催された、イギリス海軍で”Athletic Sports”と呼ばれて開かれていた体育とレクレーションを兼ねた競技会の日本版「競闘遊戯」にあるそうだ。当時のプログラムには、二人三脚も見つけられる。この「競闘遊戯」が東京大学や札幌農学校をはじめ、全国の学校に伝播していったようだ。最初は遠出をして運動会をするので、遠足と一体だったらしい。その後、地域の祭りに重なっていき、種目も運動能力を競うものから、祭りの出し物としてのおもしろさの要素が増えていく。社会的背景に影響を受けつつ、「個人の競争」と「集団の同調」のバランスの中で今日に至っているということだった。
そうして今の運動会を見直すと、約30年前の自分の小中学生時と較べても、圧倒的に「個人の競争」の色あいが薄れているのが歴然とする。順位を付けない徒競走のようなバカげた話は論外としても、大人都合のことなかれ平等主義で、子ども達からヒーローになるチャンスを奪うのは大問題だ。多用な価値を認める社会を目指すなら、多用な物差しを使って競い合うことが必要なのだ。自分の物差し探しが必要なのだ。
それでは、「集団の同調や団結」を促す色合いは濃厚なのだろうか?そうでもない。そこには、学校間の温度差が大きく表れるようだ。つまり、競うことを避けた、年中行事をこなすための「とりあえず」形式化した集団型プログラムと、忙しいスケジュールの中だからこそ、やるからには意味あるものにしないと「もったいない」と思って練り込まれた集団型プログラムに明らかに分かれる。もちろん、両者の差は、当事者の子ども達の姿に明らかに反映されてしまう。だから、「とりあえず」の形式プログラムは、概して、派手な衣装や音楽でうわべを繕ったりして見せることが多くなる。一方、「練り込まれた」プログラムには魅せられる。かくして、前者のプログラムの場に居合わせてしまった子ども達は、「競う」「自らを律する」という極めて重要な生きる力を育む場を奪われ、一番の迷惑を被ってしまうわけだ。
だから、子ども達の親であり見物人である私たちは、子どもの成長の機会を奪う、このようなまやかしを通用させてはならない。しかし、逆に親の側が、そんなうわべの見栄えを要求する傾向にあるのも事実らしい。私は、その理由の一つには、運動会を見る側の見方にあるのではないかと思う。最近の運動会見物は、自らの眼でライブで見るのではなく、我が子が出場しているような大事なプログラムであればあるほど、ビデオやカメラの狭く限られたファインダーを通して、間接的にしか見なくなっている。現場の臨場感は、周囲と協力し合ったり、競い合ったりする、場の全体から伝わってくるものなのに、その一番の旨みを、みすみす逃してしまっている。そして、後からテレビ画面で見る時には、我が子が「かわいく」画面いっぱいに映っていることが望まれる。
このように、「個人の競争」と「集団の同調」という社会に生きるための力を養うせっかくの運動会という場が、大人の都合で危うくなっている。運動会の原点にあった「競闘遊戯」の精神に立ち返り、親も先生も大人達は、子ども達の成長の姿に魅せられる学びの場づくりに向かうべき時ではなかろうか。