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【コラム】 薄暗がりから考えるこれからの暮らし
田口智博

 海外に旅行や出張で出掛けると、日本国内の環境がいかに恵まれているかということをあらためて実感する機会が少なくない。たとえば、宿泊先のホテルでシャワーを浴びようとすると、水温調整がしづらい、あるいは水の勢いが物足りない。また、移動をしようとするケースでは、分かりやすく親切な案内サインが周囲に見当たらないなど、さまざまな普段とは異なるシーンに遭遇する。

 そんなふうに記憶を辿っていると、以前ロンドンを訪れた際、街の中で感じた光景が思い浮かぶ。街の通りや駅のホームに降り立つと、そこはお世辞にも十分な灯りで満たされているとは言えず。また地下鉄に乗り込むと、車両がレールの交差ポイントを通るたびに電力供給が断たれ、室内の灯りは停電状態になる。「しばらく消えて、また点灯する」ということが、乗車していると幾度となく繰り返される。まさに英国の地下鉄と言えば、“暗い”といったイメージが頭の中に刷り込まれた。と同時に、「そのくらいなら技術的に解決できるはずなのに」と思ったものだ。実際、日本の地下鉄でも昔はそのような状況が見られたそうだが、今では補助電源装置が搭載されるなどにより解決されている。

 ところで、そんなことを思い出すきっかけについてよくよく考えてみると、震災に起因する電力不足に他ならない。震災以降、首都圏では駅のホームの明るさを抑える、また電車内の蛍光灯が間引かれるなど、電力消費をなるべく少なくする取り組みが続く。駅や電車に限らず、これまで街中をはじめあらゆる場所で煌々と光が放たれていたが、今はそうしたこれまでの日常が少し薄らいで目に映る感は否めない。そのような光景は、一瞬どこか海外で感じるような違和感につながる。

 すべては電力の必要量に対して、それに見合う供給量が確保できないという、単純なことであることは言うまでもない。
 そうした状況を何とか打開できないものかと、近頃は再生可能エネルギーの活用ということがよく取り沙汰されている。つい先日も、海の沖合いに巨大な風車を設置して、そこから電力を供給する、洋上風力発電の講演を聞く場があった。周知の事実として、日本の国土は海に囲まれていて、そのエリアから生み出される膨大なエネルギー賦存量を活かす発電について、もっと積極的に推進すべきだという提言である。この場合、風車は沖合いに設置する必要があるため技術やコストの面で課題がまだ少なくないが、欧州を中心に導入が進んでいるこのタイミングを逃す手はないという。

 話に耳を傾けながら、なぜ私たちは暮らしの身近なところからエネルギーを得ることにこれほど苦労するのか、ということを考えてしまった。そもそも人が多く暮らし、都市と呼ばれるものが形づくられる場所は、条件の一つとして強い風があまり吹かない地域である。したがって、近くで風力によるエネルギーを十分に得ることは容易ではない。また太陽光による場合も然りで、砂漠のような発電量の大きいところには、人々は積極的に住むことを好まない。
 こう考えていくと、人の暮らし、そしてとりわけ自然エネルギーということにおいては、どこかトレードオフの関係であることが、ある意味よくわかる。今の暮らしの発展は、我々の先人が住み良い場所に目星を付けて、そこで多くの都市群が築かれている。そうした都市という中で、私たちは既に多くの恩恵を受けていることは事実である。したがって、都市が人口過密などの諸問題を抱える中、これからも私たちがそこに留まり続けるのであれば、どういう暮らし方を選択していくか、現在のエネルギー問題で顕在化してきたように真摯に考えなければならないであろう。今まで海外で感じていたような、少し薄暗いぐらいの光景がしっくりくるような街のあり方、またそれにフィットするような暮らし方というものを、これを機に実現させていくというのもその答えの一つかもしれない。


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