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【コラム】 求められるサービスの質の向上
田口智博

111.jpg 3月の半ば、イギリスへ出張した時のことである。ロンドンにて地下鉄で移動しようと電車の到着を待っていると、ホームの壁面に掲載された広告が目に留まった。そこには、“Take a fresh approach to maths”という見出しが掲げられていた。「数学に新たなアプローチをする」。すぐにその訴えかけがピンとは来なかったが、よくよく続きを読んでみると、それは教師募集の広告であることがわかった。
日本の感覚からすると学校の先生を募るにあたって、このような広告のスタイルで大衆に訴えかけるということは少し見慣れない光景である。ある種、教師というとどこか聖職のような立ち入り難さがイメージとして抱かれるからであろうか。
そんなことを思いながら、その広告の最後には「あなたの才能を教育に有効に活かしては」というフレーズで締められていた。教育ということに関して、新たに楽しさや面白さといったエッセンスを加えて、質を高めていきたいという意図が伝わってくる。

 ちょうど1週間ほど前、これからの地域創造について考える研究会に参加した際、社会における「所得配分の不平等」や「貧困の格差」の問題解決には、社会保障の経済的パフォーマンスの向上が欠かせないとの指摘がされていた。ここでも“質”ということにフォーカスが当てられていた。その中でも強い訴えとなっていたのは、社会保障では、従来の現金給付からサービス給付へシフトすべきだという点である。
よく言われているように、北欧諸国などでは、住民が享受する質の高い教育や医療などのサービスが、社会での暮らしに効果的に活かされている。具体的に貧困率(2009年)を見てみると、スウェーデンでは5.3ポイントであるのに対し、日本は15.3ポイントと大きく水を開けられている。アメリカの貧困率が17.1ポイントであることからも、日本が必ずしも良い数値でないことがわかる。

 実際にGDPに占める社会保障支出の割合(2005年)もみてみると、スウェーデンが28%、一方で日本は18%に留まっている。ここでも、日本はアメリカの15.8%という比率により近くなっている。
 社会保障の質の高さというと、たとえば教育では学校教育だけでなく、リカレント教育と呼ばれる社会に出てからも教育・訓練機関に戻って来て学べるように、2本立てでしっかりとケアがなされていたりする。このようにサービス給付を充実させることで、社会としてより強固な基盤づくりが実現され、暮らし良い好循環が生み出される。必ずしもお金を配るだけでは解決されない社会的問題が少なくないからだ。

 ところで、甚大なる被害をもたらした今回の東日本大震災後の日本について見てみても、同じようなことを考えなければならないのではないだろうか。つまり、義援金などの現金給付は必要であるとともに、実際の物やサービスといったところのケアが充実しなければ、地域の復興はなかなか進まないということである。
 日々のニュースでは、ボランティアとして、多くの人々が各自の持ちうる力を活かして現地で活動する様子が伝えられている。被災地の人々にとって、こうした直に伝わる支援が大きな助けになっていることは容易に想像できる。
 これからの社会がより良くなり、人々が暮らしやすくあるためには、人同士が受け渡しするサービスの質についてもっと考えるべき時期に来ているように思う。そこでは、これまでのやり方に縛られず、諸外国から学ぶ、また災害を契機に学ぶなど、それらを確実に変化へのきっかけとしなければならないであろう。


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