東日本大震災により被災されている皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
今回の地震災害は、さまざまな問題を提起していると感じます。直接被災を受けていない地域にいる者であっても、そのすべてから目を逸らさず忘れることなく未来に生かしていく責務があります。このてら子屋コラムの場では、「科学を学ぶ」ということについて今、改めて考えてみたいと思います。
人々に大変便利で快適で豊かでたのしい生活を支えてくれているというのは、科学が生み出した技術がもたらしてくれた恩恵です。しかしご承知の通り、使い方や場合によってはとんでもない事態を引き起こします。専門家による科学的理論に基づき設計された技術は、“ある条件のもとにおいて”正常、安全安心に作動することが約束されていますが、それは裏を返せば、想定外の条件下には正しく作動しない可能性も残されているということです。にも関わらず、専門家以外の人々にとって科学技術は万能の魔法のようであり、その「有限性」を意識せずに暮らしています。
どうも、科学は疑いをさしはさむ余地なく、確立された知識体系であるというイメージを多くの人々が持っているように感じられます。これには科学教育に由来する問題だと考えられます。
人々が最初に科学に接し、科学というもののイメージを形成する場は、学校教育でしょう。小・中・高で手にする教科書には、確かに「既成の科学」しか載っていません。「地球が太陽の周りを回っている」といった、昔の科学者たちが諸議論を乗り越えて正しさを証明してきた結果だけが書かれています。結果を覚えておけば当該のテストに困ることはありません。しかし、その理論がどうして正しいのか、どういう手続きを踏んで正しいとされたのかという過程こそが、実は科学が信頼でき、面白く、尊い部分です。
科学の歴史を調べてみますと、教科書に載っているような理論が証明される前は、大抵違う説を提唱していた科学者がいて、しかしその説の間違いが実験などによって証明されたり、あるいは現象をもっとうまく説明できる他の理論によってひっくり返されて発展していく、といった紆余曲折と試行錯誤の歴史の末に、科学の「正しさ」というものはあります。
また、科学者や研究者が研究という営みを通じて行っているのは「ここまではわかった/だけどここから先はわからない」という境界線を明確にして、その中で少しずつ分かっていく部分を増やしていくことです。こういった科学の発展の歴史、科学のつくられかたを知ることは、科学ときちんと付き合うために学ぶべきことではないかと思います。
過程を知る、ということは、科学技術の裏にある仕組みを知る、ということとも根っこでつながっています。科学技術が日常生活にこれだけ浸透してきた現代においては、やはり科学とその産物である技術との仕組みもある程度理解できる素養を持つことも大事です。
「電気」を改めて意識する生活を送るようになってたびたび思い出すのが、2008年のてら子屋ワークショップ「電気ってなんだろう?」です。
電磁誘導の実験では、エナメル線をぐるぐる巻いてつくったコイルに棒磁石を出し入れして電気をつくりました。この非常にシンプルな動作で電気がつくれる、ということに子どもたちは非常に驚き、面白がり、また電気を身近に感じているようでした。電気をつくることの大変さも知りました。磁石を動かしているうちは、回路につないだモーターの先に着いた旗がくるくる回るのですが、手を止めてしまうとすぐに動きは止まります。またモーターよりも電気を必要とする豆電球を明るく光り続けさせようとすると、腕のほうがへとへとに疲れてしまいます。電気を常に作り続けるためには、磁石かコイルのどちらかを動かし続けていなければならず、でもそれは非常にエネルギーを要する仕事なので、火や水、原子力といったパワーを借りることで一度にたくさんの電気をつくる仕組みがある、という話を、子どもたちはふんふんと頷きながら聞いていました。このワークショップを終えて、電気がどこから来るのか、電池の中で何が起こっているのか、なぜ東と西では周波数が異なるのか、発電方法の違いについて、ワークショップから家に帰って実験しながら話してくれました、と後日、参加者の保護者の方からいくつか声もありました。「わかる」ということは、単に知識を持っているということではなく、このように知識が身体化されて、自分自身の言葉で語れることを言うのでしょう。
いまだからこそ、科学を単に知識としてだけでなく、その考え方までもを学ぶ社会を目指したいものです。現象と真摯に向かい合う姿勢、事実から言えること/言えないことを明晰に切り分けられる判断力、表面だけでなく物事の背景にある仕組みに興味を向けられるアンテナの広さ、部分ではなく全体を俯瞰できる知性、正しく疑う方法。こういった真の意味でのサイエンス・リテラシーを身につけていくことが重要であり急務であると考えます。