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【コラム】 学びの道具は使いよう
~機械にできることは機械にまかせ、人間はより創造…~
中間 真一

 猛暑が続きますが、2学期が始まりました。ランドセルやバッグを持った子どもたちが再び姿を現し始めます。振り返ると、高校ともなると弁当と部活道具くらいしか持って行かなくなった私とて、小学生時代には何冊もの教科書にノート、筆箱、画材やリコーダーが入った重いランドセルを背負っていました。ふと考えると、はるか40年前と今の小学生のランドセルの中身、つまり「学びの道具」のラインナップは、世の中の大きな変化ほどは変わっておらず、そのまんまなのではないでしょうか。

 しかし、そこにもようやく変化の兆しが現れつつあるようです。8月26日文科省は「教育の情報化ビジョン(骨子)」を発表しました。情報通信技術を活用して、「子どもたち一人ひとりの能力や特性に応じた学び、子どもたち同士が教え合い学び合う協働的な学びを創造」すると唱っています。また、さらにその一ヶ月前にはソフトバンクやマイクロソフト社などが発起人とり、総務省も後押ししていたようですが、「デジタル教科書教材協議会」が立ち上げられました。発足記念のシンポジウムでは孫正義社長らが鼻息荒く「今の小4(10歳)の子が、30年後に社会の中核になった時、自分の小学校時代の授業はまったく意味が無かったと言われて、先生たちは悔しくないのか!」と煽り、「学生・教師2000万人に電子教科書無償配布を!」、それは馬鹿げた夢ではなく「子ども手当から一人毎月280円を回せば実現できる!」と主張されていました。
そうなると、ランドセルは必要なくなり、子どもたちは思い思いのマイケースに入れたiPadのような情報端末だけを抱えて通学するようになるかもしれません。さらに、その効用については、さらに「小1から中3までの紙の教科書は一人90冊、22㎏分となりゴミになるけれど、電子教科書ならたたの0.7㎏」と、エコロジーに訴えるほどでした。まさにライフスタイル変革です。

 そんな中の先月、私はある県で開かれた「ICT教育セミナー」で、小中学校の先生方にお話をする機会を得ました。冒頭、お集まりの先生方に私は尋ねました。「みなさんの中で、TVゲームで遊んだことのある方?」100名を超える中で手を挙げたのは2~3名です。「では、iPhoneやスマートフォンを使っている方?」また2~3名。「ご自分の授業に何かICTを活用している方?」これさえ数名という状況でした。たぶん、この県だけがこういうことなのではなく、日本中の学校の先生方の様子なのだと思います。
 もし、このまま電子教科書を導入するとどうなるでしょう?きっと、先生などそっちのけで、TVゲームで日々遊んでいる子どもたちは、ずっとおもしろく道具を使いこなし、それぞれに夢中になって遊び始めるでしょう。そして、そんな授業崩壊を防ぐために、先生たちは必死で子どもたちの道具使いの自由を奪って統制下で授業を進めようとするかもしれません。そして、生真面目にみんなでそろって情報機器を操作するのかもしれません。なかなか、豊かな学びの場としての学校を想像し難くなってしまいます。

 そういうことを考えるとき、私は「てら子屋」を始めた動機に戻ります。世間という器は、ますます情報で溢れかえっていくばかりです。それが、知識社会への一つの変化の特徴でしょう。その中で依然として「覚えよう」とする学び方を続けることは難しくなります。そして、情報に溺れないように閉ざした生き方に逃げたくなるでしょう。もちろん最低限の「覚える」知識は大切ですが、「わかろう」とする学びの重要性が急速に高まるはずです。特に、子ども時代の学びには、ていねいに一つ一つ「わかる」ということが大切になるのではないでしょうか。なぜなら、それによって全体像を想像する力がついていくからだと思います。そこには、単に効率一点張りの学びではなく、ムリ・ムダ・ムラも大いに結構という学びが必要となるはずです。喰らいついていく、自ら動いていく、試行錯誤する学び、すなわち大量エネルギー消費型の学びこそ、心・身・脳で本当に「わかる」ことにつながると確信しています。地球資源やエネルギーとは違い、個人の知的資源とエネルギーは大量に使うほどよいことだと思うのです。そして、そのためには、個人の限界を超えていく生き方の広がりが必要です。そして、中核には「野性」こそ子ども時代に最も大切に育まれるべきだと自らの体験から実感しています。野性あふれるところに感性が生まれ、知性への欲求と受容が進むはずだからです。福澤諭吉先生も我が人生を振り返った『福翁自伝』の中で「まず獣心を成して後に人心を養う」という自身の子育てポリシーを述べています。

 そういう整理をつけながら、情報の大海を進むために新たな「学びの道具」を有効に使っていきたいものです。オムロン創業者の立石一真が唱えた企業哲学「機械にできることは機械にまかせ、人間はより創造的な活動を楽しむべきである」になぞらえば、「機械やICTにできることは機械やICTにまかせ、先生は、より生徒が「わかる」という営みを深めるための対話や活動を生徒と共に楽しむべき」なのだと思うのです。人と人との関係性の深まりと広がりこそ、創造的な生き方につながるのだと思います。

 そうそう、最近読んで単純に面白かった小説に伊坂幸太郎さんの『砂漠』があります。読んだ方いらっしゃいますか?西嶋と東堂のコンビが最高でしたね!最後に彼らの卒業式で学長が贈った言葉「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」、いい落としどころでしたね。さらに、その言葉を伝え聞いた留年組の西嶋は「それはあれですよ、俺の好きなサン・テグジュペリの本に出てきますよ」という一言も最高でした。『人間の土地』ですよね。「生きる力って、そういうもんじゃないですか」と私も西嶋っぽく言いたくなってしまいました。


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