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【コラム】 暗闇がみせる夢
澤田 美奈子

 じっとりと暑さが絡みつく季節に入ると、怪談話を聞いて涼をとる文化が日本にはあるが、学校には季節関係なく怪談が存在している。
 小学校教諭をしている知人によると、いまでも学校の怪談は健在らしい。知人の担任のクラスで最近噂になっているのは、「午後4時44分に一人で校庭に立っていると、大玉に乗った誰かに追いかけられる」
 まだ明るく人目もある時間に、一体誰が、何の目的で…などと分析的に考えるとナンセンスな話しである。だが16時で下校を余儀なくされる児童にとって、その後の学校は偉大なるミステリーゾーンなのだろう。

 大学や高校の怪談はあまり聞かない。たいてい舞台は小学校だ。小学生から見て確かに学校には不可解な部分が多くある。先生しか入ってはいけない部屋があり、誰にも使われていない教室やトイレがなぜかある。薄気味悪い標本、曰くありげな肖像画やら銅像やら、壁の落書きやら天井のシミやら…。それに戦前からの歴史を持つ校舎には、かつてそこにいた児童たちの“記憶”や“声”がどこか残っているように感じられる。
 小学生は、探索心や感性が一番逞しい時期である。だが、彼らの知識・行動範囲・情報源は、きわめて限られて偏っている。見ることができぬ世界だから想像力で補完しようとし、意味が理解できないから無理やり意味を持たせようとする。そんな結果が、小学校における怪談文化なのだと考えられる。

 大人にお馴染みの「居酒屋」も、子どもにとってはミステリーゾーンの一つだと思われる。少なくとも私が子どものときはそうだった。居酒屋の前を通ると、大人のガヤガヤ声が聞こえ、換気扇からはニンニク?のような強い匂いがし、この中で大人は何を飲み食いし、どんな面白いことをしているのか、と気になっていた。自分もいつかここに仲間入りする日がくるんだろうか、などとドキドキしつつも、子どもの身分では立ち入ることが許されない“大人の縄張り”だった。

 最近は、小さな子ども連れでも気軽に利用できるカジュアル居酒屋が増えている。店内の雰囲気も健全で明るく、子ども向けのメニューも充実しており、大人も子どももリラックスできる空間に変わってきている。時代に適応した変化ではある。
 ただ、早々に大人の縄張りに入ることを許された子どもたちはどういう感じなのだろう、と考えることはある。例えば私などははじめて居酒屋に入ったとき、大人として迎え入れられた嬉しさがあったが、幼い頃からすでに大人とテリトリーを共有している子どもらは、そんな“先の楽しみ”が無いということだ。大人にとっても、酔っ払った姿を子どもに見られるはきまりが悪い。大人のみっともない一面を知るのは、もう少し大きくなってからで良い。

 社会はどんどん見える化され、あらゆる情報は検索可能となり、大人と子どもの縄張り意識も薄れてきている。子どもにとっての“謎”のベールがどんどんはがされてきている状況は、少々気がかりでもある。
 ブラックボックスの中身を早々に知ってしまうことは、彼らがいつか自分でその箱の中をのぞく楽しみがなくなるということでもある。“暗闇”は、子どもの豊かなインスピレーションの源であり、未知への期待や成長へのトキメキを膨らませるブースターなのだから、あえてベールに包んだままにしておくこともやさしさではないだろうか。


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