「東京では、人に迷惑をかけてはいけないことになっているようだ」
-てら子屋11号で「ホンジュラスの放課後」について書いていただいた古川さんとお会いする機会があり、一時帰国で7年ぶりに訪れた日本の印象を伺ったときのひと言が、胸に残っている。
友人との待ち合わせの際、携帯電話の電池が切れそうになってしまい、近くで電源を借りようとしたら、どこでも怪訝な顔をされてしまったのだそうだ。
「人に迷惑をかけてはいけないことになっている」-東京に暮らしていると、それは当たり前のことのようで、改めて考えたことがなかった。いつから、なぜ、そうなったのだろう?
東京は人に迷惑をかけなくても生きていけるようにデザインされてきたと言えるかもしれない。24時間営業のコンビニに行けばたいていのものは手に入るし、携帯の充電器が設置されている店もある。自動販売機やコインパーキングもそこら中にある。「調味料を貸してください」とか、「ちょっと家の前に車を停めさせてもらえませんか?」などと、近所の人に頼む必要もなくなった。かつて、他人同士の助け合いによって解決されていたいろいろなことが、「サービス」という名前に置き換えられて手に入るようになった。その結果、人に迷惑をかけずに済む反面、「サービスがあるのだから、それを使えばいい。使うべきだ」という規範が生まれることになったのだ。
助け合いや思いやりは、「ルール」にも置き換えられている。
朝のバスで、遠足に行くらしい小学生と一緒になった。込み合ったバスの中で、シルバーシートの前で一列に立っている。リーダーらしい子が、「シルバーシートに座っちゃいけないんだよ」と言うのが聞こえた。シルバーシートは「座ってはいけないもの」。彼らはそう教えられて、そのルールを忠実に守っているのだった。
シルバーシートが何のためにあるのかを皆が理解していて、自然な助け合いや思いやりがあったなら、「シルバーシートには座ってはいけない」という「ルール」は必要ない。シルバーシート自体も必要ないかもしれない。「座ってはいけない」と教える大人たちは、子どもたちに手っ取り早いルールを守らせることで、そんな社会をつくることを放棄してしまっている。
「サービス」や「ルール」を整えることは、時間に追われた大勢の人間がひしめき合う大都市の中で、複雑な判断や手続きを省いて、効率よく暮らしていくための知恵だ。しかし、それだけでは解決できない課題をたくさん残している。未来の社会を、「サービス」と「ルール」しか知らない子どもたちがつくる社会にしてはいけない。
-ホンジュラスから日本を見つめる古川さんのひと言に、そんな気づきをもらった。
○てら子屋Vol.11「ホンジュラスの放課後」