日本で「電子工作」と言えば、だいぶ郷愁が漂う文化になってしまった感がある。かつてラジオ少年だったミドル世代、あるいは一部のギーク向けのサブカルチャーというイメージだ。
かたやアメリカ西海岸では今、電子工作はかなりアツい分野だ。向こうにはもともとDIY文化がある。木材やノコギリを使った昔ながらの「自分で作ってみよう」文化に、安価に手に入るようになったコンピュータ基盤などのハイテク部品が加わって、面白いアイデアが続々と生み出されている。その様子は『Make:』という雑誌などで知ることができる。例えば、自転車にパソコンとプロジェクターをつないだ「簡易ドライブインシアター」や、凧にデジタルカメラをくっつけた「空中カメラ」などなど。この「電子工作2.0」とも言うべきムーブメントに、大人だけでなく子どもも熱狂しているという。
そんな中、ある事件がニュースになった。サンディエゴの技術系ミドル・スクールに通う11歳の少年が、空っぽのジュースのボトルに電子基板を配線して、モーションセンサーを作った。そしてそれを学校のサイエンス・イベントで紹介したと言う。しかし少年の作ったデバイスを見た校長はそれを“危険物”だと誤解した。そして校長の指示で、イベントに来ていた生徒・保護者たちは避難させられ、警察や消防署まで呼ばれる騒ぎとなった。少年のカバンからは、他にも数々の電子基板が出てきたことも危険視された。少年は自宅のガレージまで念入りに取り調べられた結果、まったくもって無害であることがわかった。
この事件にはいくつか注目したいポイントがある。まずは、一見超ハイテク・デバイスを、空きペットボトルと基板をつなぐだけで作ってしまったという発想力。しかもその発想が、11歳の少年から生まれたということに驚く。だがそんな反応は、われわれの偏見だろう。いまの時代の少年少女たちにとって、電子基盤もワイヤも、画用紙や粘土や木工ボンドと同列のツールに過ぎないのだろうから。そしてそんないろいろなツールを、組み合わせて・つないで・壊して・つなぎ変えて、といった「いじくり回し」がアイデアを太らせていく。イノベーションの原点は、こんな子どもの無邪気な工作遊びにあるのだ、と。
さらにこのニュースからわかることがもうひとつ。子どもが面白がる、目新しいモノにはいつも、大人の非合理なアレルギー反応が起こるということだ。若者文化に大人が批判を行う光景は、日本でもよく見られる。それは最先端のデバイスやネットビジネスの発信地・アメリカとて、事情は同じらしい。人々は電化製品に囲まれて暮らす。便利になったと喜ぶ。その便利さは、その中でさまざまな電子デバイスが働いているお陰だ。なのに、その電子部品の仕組みに興味を持って勉強して、それを使って工作する子どもを頭ごなしに否定するというのは、おかしな話だ。
いまの子どもは創造力が乏しくなった、とよく言われる。だがこの事件を見る限り、創造力を鍛える場や機会を奪っているのは、想像力の乏しい、事なかれ主義の大人だと言える。
「子どもには危ない」「取り上げた方が良さそうだ」。大人の判断には、根拠のあるものもある。でも、根拠の無い、勝手な思い込みが介在している場合も多々ある。大人の独り善がりの“安心”のために、子どもの想像力や発想力を伸ばすチャンスが犠牲になっているとしたら、これは憂えるべきことである。