「21世紀 交通のエース! 空のマイカー」、「秋のえんそくは宇宙船で月めぐり」、「ゆめの大都市たんじょう 海にうかぶ新東京」、「人工たいようで夜のないせかい」、「海底の巨大都市!」、「高山や海底へも自由にゆけるハイウェイ」、「きみの家にも登場!!お母さんロボット」・・・・・・
戦後の復興期から高度経済成長期は、少年少女雑誌で、イマジネーション豊かに未来の科学技術の夢が繰り広げられた時代だった。文京区・弥生美術館で開催中の「昭和少年SF大図鑑展」に足を運び、当時の雑誌の表紙やグラビア特集、マンガや玩具を眺め、科学技術に希望と夢を託していた時代が確かにあったのかと思うと、眩しい気持ちになる。
展覧会のギャラリーは、40~60代が中心。「これ、あった、あった!こういう特集、大好きだったなあ」と話す60代ぐらいの男性や、プラモデルを見ながら「サンダーバード2号がかっこよかったのよねェ」と思い出に浸る50代ぐらいの女性など、こういった輝かしい未来の夢物語は、この世代にとって「懐かしい未来」の記憶として刻まれているらしい。
「百年たったら、科学は進んで、きっとこうなるぞ。科学小説をお書きになる先生は、こんなすばらしい東京のすがたを考えました・・・」
昭和36年発行の『たのしい四年生』では、そんな一文とともに「2061年の東京」の予想図が紹介されている。いかにも“近未来”っぽいボディースーツに身を包んだ人々の周りにあるのは、空飛ぶ車や自動の歩道、室内型スタジアム、街角テレビ、高速道路、国内小空港、ヘリポートなどなど。
その未来は100年後どころか、50年後のいまの東京で、空飛ぶ車を除いては実現している。しかし、それが「こんなすばらしい東京のすがた」と言えるかと聞かれたら言葉に詰まってしまうのが、複雑なところである。
そんなことを考えつつギャラリーを回っていたら、ミドル男性の「いま見るとバカみたいだけど、当時は本気で信じていて夢があったなあ」というつぶやきが耳に入った。なるほど、当時は科学技術を楽天的に信じられていたから、まっすぐな希望に溢れた未来を描けたわけである。
裏を返せば、技術が社会や地球環境にもたらす影響には無頓着であったということだ。だからこそ、「宇宙に大きな鏡を浮かばせて太陽熱を地球に送り、南極の氷を溶かして港をつくる」、「東京に人が集まって道路やビルが満員になったら、海に無限に人のすむ場所を広げればいい」といった、いまは環境問題として取沙汰されるであろうアイディアも、「輝かしい夢」として描くことができたのだ。
21世紀の子ども達は、科学技術にできること/できないことがあり、ポジ/ネガがあるという事実をよく知っている。私自身を振り返ってみても、学校では、科学技術の素晴らしさより、ネガティブな側面を教えられた。工場からの煙や排水で汚される自然、原油にまみれた海鳥、公害に苦しむ人々…。最近では総合学習の導入もあり、さらに環境教育がさかんになっているようだ。そのように、科学技術を諸側面から捉えることができるというのは、21世紀ならではの「賢さ」を身につけた子ども達とも言えそうだ。
とはいえ、いまの子どもが未来を見渡す“窓”が、小さくなってきているのは気がかりでもある。少年向けの読み物をとってみても、「週刊少年○○」の巻頭を飾るのはアイドルのグラビアで、漫画もSFものはほとんどない。「小学○年生」でも、職業選びや記憶力をよくするために脳をどう使うかといった特集はあっても、未来の社会や暮らしがどうなるかという話題はなかなかお目にかかれない。かつての少年少女誌が多くの子ども達にワクワクするような未来観を与えることに貢献したことから見ても、ときには大人の側が大胆不敵なイマジネーションをもって、希望ある未来予測を子どもに発信することも重要ではないかと思う。
白紙に自由に絵を描くように、奔放な夢を見ることができた時代を眩しく感じつつも、21世紀の、思慮を持ちながらも科学技術を当たり前のものとして使いこなす子ども達のつくる、新しい未来に期待を抱きたいと願いながら会場をあとにした。
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○弥生美術館
「昭和少年SF大図鑑 展 ― S20~40'ぼくたちの未来予想図 ―」(2009年9月27日(日)まで開催中)