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てら子屋コラム

子どもたちが感じる楽しさ
田口智博

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 HRIで実施している「てら子屋」とは一体どのような活動だろう?という思いのなか、先日、8月中旬のワークショップにスタッフの一員として初めて参加をした。

 今年は、小学校高学年を対象として、『電気ってなんだろう?』をテーマに2日間の講義・実験・工作からなるプログラムであった。当日は子どもたちのサポート役として小学生3~4名で構成されるグループの1つに入り、講師の先生の話に耳を傾けつつ、子どもたちが普段の学校や塾の授業とはひと味違った「てら子屋」の場でどのような反応を示すのだろうということにも注目をしながら臨んだ。

 冒頭で、普段は中学校で教えられている講師の松丸先生から、“電気”と聞いてイメージするものは?という質問が子どもたちに投げかけられた。そこで、子どもたちが思い思いに答えるなか、今流行りの任天堂DSやプレイステーションポータブルといったゲームに関する回答が多く挙がった。確かにゲーム機は電気で動くものだということと共に、ふと今の子どもたちが日頃ゲームから感じる楽しさと、今回の「てら子屋」のような学びの場で感じる楽しさの違いといったものもがそもそもあるのだろうかということを思った。教育については、よく体験などを通じて学び、そこで子どもが楽しさを感じることが理想と言われることもあるが、実際に子どもは学びの中で楽しさをどこに感じるのだろうかということがはっきりとは分からなかったりするからだ。

 そんな中、2日目に行われた「光に反応する自動車を作る」という工作で、子どもたちが興味を持ち、とても楽しんでいる様子を目にした。特に、講師の先生に教えられていない中、モーターを強力なものに取り換えてみたり、自動車に豆電球を付けてその光で走らせるようにしたりと、子どもたち自身が配線の繋ぎ方など想像力豊かに考えながら自動車の改造に取り組んでいる姿がそこにはあった。その創意工夫からは、一人ひとりの子どもたちの個性を直に感じることができ、子どもたちにとってゲームと同様に、何かに没頭する中で楽しさを実感できているという共通点が伝わってきた。また、講義を聴いている時と比べても、子どもたち自身が主体的に何かに取り組むということが楽しさに繋がっていることも窺えた。あらためて、子どもには、熱中しやすさと飽きっぽさという両面があるものの、好きなことにのめり込む力、またそこでの創造力の発揮という点がとても優れていると感じた。その様子を見ていて個人的には、大人になると物事に取り組むとき、あらかじめ自分の中でこの程度かなと上限を決めがちであるようにも思い、なかなか子どものように純粋に何かを探求するような姿勢に日頃欠けていることに気づかされた場面でもあった。

 今回のワークショップのように、実験や工作など体験によって得られたことは、何かしらこれからも子どもたちの記憶に残っていくに違いない。講師の松丸先生が、プログラムがすべて終了した際に子どもたちに向かって、これから小学校・中学校で電気を学ぶ機会に、この2日間で学び・体験したことを少しでも思い出して欲しいとおっしゃっていた。本当にその通りだと思うとともに、この2日間の活動で得られた楽しさもぜひ大切にして欲しいと思った。学びの機会を設け、子どもたちの創造性を喚起し、そこから楽しさが自然と生み出される場がまさに「てら子屋」の取り組みであり、また魅力であるということを、今回子どもたちと接する中で強く実感した。


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