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てら子屋コラム

自然から読みとるデータ
鷲尾 梓

 テレビ番組で、稲の栽培の半年間を振り返る特集を目にした。米作りの素人が、達人の指導を受けながら自分たちの手で米を作るという企画だ。台風の被害に悩まされつつ懸命に育ててきた稲が、いよいよ収穫の時期を迎える。いつ稲を刈り取るかという判断は、米の出来の良し悪しを決める大きな分かれ目となる。では、その時期は何をもって決めるのだろうか?
 
 そこで登場したのは、一枚の大きな模造紙であった。そこには、「出稲後の積算気温」(稲の穂が出てからの毎日の平均気温を足していったもの)を記録したグラフが描かれている。稲の刈り入れ時期は、この「積算気温」が一定の数値に達したときを目安に決められるのだという。

 この事実を知り、私は驚きを覚えた。暖かい日が続けば、稲の生育が早く、収穫時期も早まるということは想像に難くない。しかし、天候や気温、湿度、日照時間、土の状態など、数限りない要素の中から、積算気温というひとつの指標に注目して、さらに具体的な数値を決定するまでには、数多くの試行錯誤の積み重ねがあったことだろう。しかもこの数値は、地域や稲の品種によっても異なっている。

 今日のように優れた計器や記録用の装置があったわけでもなければ、複雑な因果関係を読み解く分析システムがあったわけでもない中で、それに代わる役割を果たしていたのは、人々の日々の小さな変化に対する鋭い感性と、地道な観察、自らの体を使って実践することの積み重ねであったに違いない。私はそこに、「自然科学」の原点を見た気がした。

 前述の番組のホームページでは、「こぶしの花が下を向くと(湿度が高くなってきたことを示すため)雨になる」という先人の知恵が紹介されているが、先人にとっては、花もただ愛でるものではなく、様々な情報を与えてくれる、貴重な情報源であったのだろう。

 一方で、自分自身の日常を振り返ってみると、自然の変化にどれだけ鈍感であるかが反省される。傘を持って出かけるかどうかは、携帯電話に配信される天気予報の降水確率に頼りきっている。生の自然からデータを読みとる作業は人任せになり、まして、そこから法則を見出すことなど考えもせずに日々の生活を送っていた。「自然科学」は、日常の生活からは距離のあるものになってしまっていた。

 しかし、自然の中にあるデータを読みとり、そこに法則を見出していくという作業は、本来誰もが、日常生活の中であたり前に行ってきたことなのではないだろうか。そして五感を働かせれば、今の私たちの身近な環境の中にも豊かな情報が隠されている。意識を変えて目を向けると、駅まで歩くいつもの道端に咲く花も、昨日までとは少し違って見えてきそうだ。


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