あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
「かかずらう」という言葉がある。
「面倒なことにかかわりを持つ」「ささいなことやつまらないことにこだわる」「つきまとう」など、「関係する」ことのネガティブな側面を表す言葉だ。最近、この「かかずらう」とポジティブな意味での「かかわる」の境目が気になっている。
きっかけは、年末に「生協の個別配達、班配達を抜く」というニュースを目にしたことだった。隣近所で班をつくり、購入した商品を分け合う従来の「生協」のスタイルに代わって、自宅まで商品を届けてくれる個別配達(個配)が急成長しているというニュースだ。「個配志向」が特に強いのは都市部で、「不在でも商品が届く」「買った商品を他の人に見られることがない」などが人気の理由なのだという。
子どもの頃、母に代わって近所の家の駐車場まで生協の品物を受け取りに行くのは確かに煩わしかった。品物の振り分け自体はすぐに済んでも、「井戸端会議」に花が咲く。「班配達」が減っている理由のひとつは、「かかずらう」ことが疎まれていることなのだろう。忙しい毎日の中で、なるべく効率的に、自分のペースで物事を済ませたい都市生活者にとって、「かかずらう」ことは時間の無駄だ。
一方で、同じように都市生活を送りながら、孤独に苦しむ人たちもいる。子育て中の母親を対象に実施してきたインタビューの中で、多くの人が言及していたのが、「小さな子どもと二人きりで家で過ごしていると、とにかく大人と話がしたくなる。社会との接点がないと不安になる」ということだった。
児童公園の調査をしたときは、公園のあちらこちらで子どもとその母親が一組になり、二人きりで遊んでいる姿が目立った。遊び道具はそれぞれに用意してきていて、ほかの子のものにはほとんどさわろうとしない。母親同士はお互いに迷惑をかけないよう、常にとても気を遣っているように見えた。「かかずらう」ことを避けるあまり、「かかわること」そのものが排除されてしまっている。そのことが、彼女たちの孤立感を深めているように思えた。
「かかずらう」こと抜きに「かかわる」ことができればよいのだろうが、そうはいかない。子どもにとって「一緒に遊ぶこと」は「おもちゃを取り合うこと」や「けんかすること」と背中合わせで、大人にとっても、「心地よい関係」は「面倒なこと」や「つまらないこと」を飛び越えては得られないものなのではないだろうか。
「個配志向」の高まりの一方で、最近では、ごく一部ではあるが、転勤族の妻や子育て中の若い母親が「友だちづくりのために」と班配達に参加する例も増えているという。「急がば回れ」。「かかずらうこと」は、「かかわること」「ふれあうこと」への近道なのかもしれない。
■生協、個配の時代 都市で急増、班配達抜く (2007年12月25日 asahi.com)