てら子屋
Contents MENU
お問い合わせ HRI HOME
てら子屋とは
てら子屋の活動紹介
お知らせ掲示板
研究室
図書室
てら子屋コラム
てら子屋リンク
トップページへ戻る
てら子屋メンバー専用ページ

てら子屋コラム

【大人の学び】 日々の営みと学び
ソーシャルワーカー 野田 妙子

  あの頃、私は「学び」に飢えていたのだと思う。

職場で起こる様々な問題にどう対応していけばよいのか、全く混乱していた。そのころ病院は社会的バッシングの渦中にあり、突如として「患者様」と呼ばれるクレーマーが出現したり、今まで権威の象徴だった医師が訴えられたり、逮捕されたりというニュースが駆け巡っていた。古臭い白衣の世界が激しく根底から揺らいでいた。

 

なぜ「学ぶこと」に救いを求めたか、覚えていない。それしかないと思い込んでいたのは無謀な賭けだった。社会人大学院の門を叩いて、経済学を学べばなんとかなるのではないか、という思いに賭けた。無謀な賭けは出会いに救われる。出会った教授は、その混乱した現場から真摯に学び、真理を解こうとする人で、彼のもとに集まった学生はみな社会の第一線で活躍する素敵な人たちだった。

 

 日々の営みは、時間というぶ厚い皮膜にコーティングされていて、スルスルと流れていってしまう。その流れの真実を見極め、解読するにはぶ厚いコーティングを瞬時に見破る、鍛え上げられた知力が必要なのだと、程なくして気づいた。教授が提案する本はどれも易しくはなかったけれど、それで日常が読み解けるなら、と手当たり次第に読み漁った。学びに飢えていた私の栄養ドリンクだった。

 

 学び、思索することで私は少しずつ落ち着いて日常を観ることができるようになった。そして学んだ知識・・・資本の論理、権力、資本主義の行方、組織と個人、ネットワーク、媒介する言葉・・・etcなどを恐る恐る使って、職場の問題をテーマに修士論文を書き、なんとか博士論文を書いた。

 

けれど、もう一つ気づいたことがある。日常を読み解く知力は、頭の中にあるだけでは、せいぜい論文を書くことくらいしかできない。日常を変革しようとするときには、その知力を信頼してくれる仲間と学びの場が必要なのだと。知力、知識は応用しようとする集団があってこそ、社会に還元されるし、それがどんな小さな変化であっても仲間とともに起こした活動が実現したときは本当にうれしい。

 

知識を鍛え上げ、現実の日常のなかに多様な人々との交流の場を持ち、学び続けられたらとても幸せ。平たく言うと、お友達いっぱい、大いにおしゃべり、あーだ、こーだと言い合って、とにかくやってみる。それが私の「日々の営みと学び」です。

 

《プロフィール》

埼玉大学大学院経済科学研究科 後期博士課程終了

 


てら子屋コラム トップへ バックナンバーへ

HRI Human Renaissance Institute Copyright © Human Renaissance Institute 2007 All Rights Reserved.