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【ゲッチョ先生コラム】教えていない何か
盛口 満

秋。

 今年は台風が多い。台風をやりすごし、かいくぐり、沖縄から飛行機に乗って、あちこちに授業に出かける。

 京都の小学校へ。授業が始まる1時間前には学校についた。いまだに、初めての場所、初めてのクラスでの授業は緊張をする。できる限り早い時間にその場にいって、心の準備をしたいと思う。校長室をお借りして、沖縄から送ったり、手荷物としてもってきたりした教材をとりだし、授業の流れを確認しながら、再度パッキングをしなおしていく。

 時間になった。今日の授業は3年生。クラスのこどもが、校長室まで迎えに来てくれた。このクラスの担任の先生からのリクエスト。生き物の楽しい話を2時間してください......と。クラスのこどもたちからは、事前に「思い」を伝える色紙も送られてきていた。そこには、「アリのことを教えてください」とか、「イルカの話をしてください」といったそれぞれのこどもたちからのメッセージが書かれていた。

 リクエストもあったけれど、僕の授業は、それほどレパートリーが多いわけではない。実物教材を使った生き物の授業というのが基本。メッセージは、「生き物にはかならず、"れきし"と"くらし"がある」ということ。そして、気を付けさえすれば、身近なところにも、"れきし"と"くらし"を教えてくれる教科書はたくさんある......ということも伝えたい。結局、1時間目は骨を持ち出して、生き物の"れきし"と"くらし"を話す。いつもの話に少しだけ付け加えたのは、クジラやイルカの話。せっかくリクエストがあったのだからと、荷物の中に、ゴンドウクジラの頸骨と肩甲骨、ネズミイルカの頭骨、そして比較のためにジュゴンの肩甲骨もしのばせていたのだ。2時間目は木の実と動物の関係の話。事前にヤンバルに行って、バナナの祖先(栽培バナナの片方の親と言われている)のイトバショウの花と実も仕入れておいた。バナナももともとは、種があったんだよということを示すためだ。

なんとか、2時間の授業が終了。授業が終わるたびに、もっと、ああすればよかったかも......ということをいつも、思う。いつになっても、授業は難しい。

授業が終わって、3年生のこどもたちが、お礼をしてくれるという。それが、エイサーというので、なんだかびっくり。沖縄から京都に来て、エイサー?と。なんでも、運動会で踊ったのだとか。それでも、3年生のみんなのエイサーは元気いっぱいで、見ているだけで楽しかった。

帰りの飛行機では、ひさしぶりにゆっくりと本を読む。内田樹さんの『街場の憂国論』だ。その中の一節。「教師は自分が知らないことを教えることができ、自分ができないことをさせることができる」という一文に、うーんとうなる。教育とは出力過剰のシステムであるというのだ。

そういわれて、思い当たる節がある。

かつて勤めていた高校の卒業生がこの前、沖縄に遊びに来た。最初の担任のクラスの子である(思わず"子"と書いてしまったが、彼女の娘さんですら、もう20歳になる)。最初の担任のころを思い返すと、はなはだとんでもない授業をしていた(今、格段にすばらしい授業をできているというわけでもないが)。生徒指導だってしかり。思い返すだけで赤面である。それでも、立派に社会人となっている(さらには様々な社会活動にも手を染めている)卒業生が会いに来てくれるって、どういうことなんだろう? と思ったばかりであったのだ。そして、僕の抱いた疑問の答えこそ、教育というシステムの本質であると内田さんは書いている。

「教育は出力過剰のシステムである」というのは、言い換えるならば、「教育というものは、生徒は教師から教わったもの以上のことを学ぶというシステムである」ということになる。内田さんは、教師の資格というものを一つ上げるとするならば、そのような教育の豊穣性を信じることができるかどうかにあるとも書いている。

 ああ。

僕も、確かに、教育の豊穣性を目の当たりにしているではないか。かつての教え子は、僕の教えていないことを学び、育ち、今そこにある。

京都で出会った子どもたちは、ぼくが提示したものではないなにかを、きっとつかみとったに違いない。

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