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【ゲッチョ先生コラム】 新聞を読める日
盛口 満

 最近、大学の教員の会議で、寂しくなる時がある。それは、若い大学教員の中に、自己の意見に対して、絶対の自信を持ち、異見を言おうものなら、怒り狂わんばかりの反応が返ってくるのを見る時があるからだ。それも、日ごろエキセントリックな人というわけではなく、どちらかと言えば理性的にふるまう人に見られる。だから怒り狂わんばかりの反応といっても、それは理屈攻めの態を帯び、対象となった場合(僕がそうした場合に立つこともむろんある)、黙り込むか、同様の理屈攻めで反撃をするかの選択を余儀なくされる。

 

 自分は十分に理論的である。自分の考えは正しいし、訂正の余地はない。その自分の考えに異見をはさむということは、自己を否定されることにつながる。よって許すことはできない。自己原理主義。そんな風にも思えるこうした人々の生まれる背景は、世間一般でよく耳にする「勉強をしなさい」という一言に端を発しているように、僕には思える。

「勉強をしなさい」「なぜ」「勉強をしたら、あなたのためになるから」......。理屈としては、全く間違っていない。僕だってそう思う。でも、その行きつく先が、「頑張って身に着けた知識や教養は自分のものである。すなわち、その知識や教養は、当然、自分のために使うものだ」という思いに結びついてしまっているのではないだろうか。ある問題に対しての思考や言説がたとえ十分に理論的であるにせよ、その理論は疑いもなく自己の保持のためという目的に結びついており、そこに他者が割り込む余地はない......。僕はその点に、どうしてもある、寂しさのような感覚を持ってしまうのである。

 

 こんなとき、僕は昔の卒業生が送ってくれた写真集と手紙のことを思い出す。アフリカのある国で、内線が勃発。その国の教育機関に彼の知人がいた。あるとき、その教育機関が武装組織に襲撃され、通っていた子どもたちが拉致されてしまう。少年兵士として育成するためである。これを聞いたとき、彼は「ああ、もう助からないな」と思ったのだと言う。ところが、彼の友人らの懸命な努力の甲斐あって、奇跡的に少年たちは教育機関に戻されることになった。その時、彼は強い衝撃を受けた。「自分の教養とは何か。状況からもう助からないということで判断停止してしまうための教養だったのか」と。そして、彼は自分のできることをしようと、日ごろから手にしているカメラと共に、現地に向かう。その成果が、一人一人の少年に丁寧なインタビューを行いつつ、彼らのポートレートを写した写真集なのだ(『このほしのまん中で』竹内弘真)。

 

 彼のこの話を聞いて、今度は僕が衝撃を受けた。「自分の教養を、はたして自分は何のために使っているだろうか」と。僕は怠け者だ。誰かのために、自己の教養を使っているだろうかと顧みると、はなはだ心もとない。しかし、彼に聞いた話だけはわすれずに心のうちに持ち続けようと思う。

 寂しさと、その寂しさを紛らわすようにな暴力的な言説が世間に渦巻いている。教育の場がそれに加担しさえしている。それでもなお、「そうではないこと」もまた、まだありつづけている。

 

 同じような気づきを僕に与えてくれた場がある。それが関わってきた夜間中学だ。沖縄は激烈な地上戦によって焦土と化した歴史がある。その苛烈な戦中戦後、満足に義務教育を送れなかった人々が少なからずいる。僕が関わってきた夜間中学では、そうした失われた教育を取り戻すべく、70歳を超えた方が毎夜、通ってくる場である。

 ある日、夜間中学の同窓会に出席した。夜間中学を終えた卒業生の中には、さらに定時制高校に進学した生徒もいる。「今は女子高生だよ」と、久しぶりに再会した卒業生が笑って言う。そのうちの一人の方が、「もうあと1年したら、新聞が読めるようになりそうだよ」と僕に言った。「せっかく母親が産んでくれたんだからね、新聞が読めるようにならないと申し訳ないよ」彼女は、さりげなく、そうつづけた。「ああ、この人もまた、誰かのために自分の学びを築こうとしているのだ」僕は彼女の話を聞いて、ひそかに感動していた。

この話を聞いてから、だいぶたつ

彼女は新聞を読めるようになっただろうか。


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