キーワードは「進化」、そして「人間ってどこから来たの?」をテーマに開催した2007年度のてら子屋も、9月30日、国立科学博物館のプログラムで幕を下ろした。
最終回は「わたしたちはどこから来たの?」をタイトルに、人類学者・馬場悠男先生を講師として招き、講義や館内ツアーなどを交えながら、生き物の進化の歴史、私たち人類のたどってきた道筋、そして人類のこれからについて、考えるプログラムとなった。
当日の様子は「てら子屋の活動紹介」のページ、もしくは来年発刊予定の『てら子屋 vol.10』をお待ちいただくとして、今回は、今年のてら子屋の活動に携わる中で、参加者の子どもたちを見ながら、感じたこと・考えたことを記しておきたい。
今年のテーマが「進化」に決まったとき、それを子どもたちにどのように教えるかが課題となった。「進化」の話は、中学校・高校でも教わる機会は減っている。ましてや、てら子屋参加者の大半は小学生だ。しかもアニメやその他マスコミの影響で、「だんだん良くなるものだ」といった発展や進歩のイメージがつきまとう。
スタッフや先生方のアドバイスや協力のもと、プログラムにはさまざま工夫を凝らし実施した。しかしそれでも、中身は大人たちも唸るような内容も含まれており、「進化」という考え方が、子どもたちにどれぐらい伝わっただろうか...と不安がなかったわけでもない。
しかし、参加者の感想を見ると、「難しいこともあったけれど、わかりやすく教えてもらってよかった」という意見がほとんどだった。
「動物がその動物の生活暮らし方や暮らしている環境に合った体をしている」
「人間にたくさんの種類があるように、動物にもたくさんの種類がある」
といった声が寄せられていることからも、また
「家に帰ってキリンがなぜクビが長いか、馬がなぜ長い顔でネコがなぜ丸い顔なのか教えてくれました」
という保護者の方からのコメントからも、完璧な解釈はさておき、少なくとも「進化」という考え方のコアを、子どもたちなりに感覚的に把握してもらえたなと感じた。少々の難儀を要求したものの、「進化」をテーマに据えたことは意義があったと思う。
子どもたちの感想文を読みながら、私は高校時代通っていた塾の、毎週待ち遠しかったある先生の授業のことを思い出した。
それは英語の読解の授業だったのだが、その先生は教科書を使わず、いつもオリジナルのプリントを持ってやって来た。内容は毎回、進化論、遺伝、人類学、人工知能、環境破壊や経済の仕組みなど多岐に渡る。もちろん学校では習わない内容がほとんどだし、辞書に載っていない専門用語も多かったので、読解にはかなり苦労を強いられた。しかし、内容は完全に理解できないながらも、とにかく「面白い」と思った。人間はなんで生きているのか、世界はいかにして成り立っているのか、現在私たちの社会が直面している問題とは何か、人間の未来はどうなるのか窶披狽ニいった、誰もが素朴に持っている疑問を解き明かす上での鍵が、そこに山ほど潜んでいると感じたからだ。
難しすぎて当時はよくわからなかった内容が、その後いろいろ物事を知っていく中で(あああの時書いてあったのはつまりこういうことなのか)と時を経てやっと理解できたこともあるし、7、8年も経った現在でもいまだに消化できずモヤモヤしていることもあるけれど、とにかく「難しい、だけど面白い」と感じた経験は、その場限りでない、"後を引く"学びとなっていることは確かだ。
子どもの好奇心を喚起するためには、わかりやすく親しみやすく面白そうな材料やその提示の仕方を工夫することは大事だ。とっつきにくい、つまらなそうな学びからは自ずと足は遠のいてしまう。
しかし、だからといってあまりにわかりやすいものばかりを与えすぎて、何の疑問もひっかかりも残さなければ、明日への自力の学びには繋がってはいかないだろう。
「面白くあること」と「ひっかかりを残すこと」のバランスをとるのは容易くはないが、ちょうどいいバランス点を模索しながら、子どもたちにはすこやかに楽しく、時にはちょっと無理して背伸びをしてもらって、でも無理していたことがいつの間にか無理でなく自然に腑に落ちる日が来てくれることを期待しつつ、来年度のてら子屋も、参加者の"それから"につながる、実り豊かな学びの種を蒔く場となれば、と。