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暮らしの未来

【自律社会としてのスウェーデン(20)】
HBTQ認証進む

三瓶恵子(ストックホルム在住)
2015.09.01

HBTQというのをご存じだろうか。ホモセクシャル・バイセクシャル・トランスパショーネル・クイアパショーネルのスウェーデン語の頭文字を繋げたもので、英語のLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)を真似て作られた言葉だ。同性愛者、両性愛者、性別越境者、性同一障害者等の性的マイノリティーの人々を指す。ウィキペディアによれば、最初にこの言葉を使い始めたのは、性的同等権のための全国連盟(RFSL。2007年に略称はそのままでHBTQの権利のための全国連盟と改称)季刊誌の編集長が2000年第4号で使い始めたのが最初だとされる(当時はHBTQではなくHBT)。

その概念が浸透する前から、ゲイパレードとも呼ばれるプライド・パレードはスウェーデンの各地で開催されていて(マルメでは1995年から、ストックホルムは1997年から、ヨーテボリでは2007年から)、2015年には全国21か所で行われるようになった。ストックホルム・プライドが一番規模が大きく、毎年、首相や文化大臣が参加している。

スウェーデンでは、性的マイノリティーの人々に対して比較的寛容だった。1944年にはホモセクシャルが不法でなくなり(それまで不法であった、ということが却って注目されるが、1608年にカール10世がホモセクシュアル禁止事項を含む法律を制定した。1773年にグスタフ3世がホモセクシュアル禁止法で死刑になる人を決められるのは彼自身のみ、という法律を作り、彼自身がホモだからだと教会人に非難された)、同性の婚姻が認められるようになったのは世界でも早かった。1972年にはスウェーデンは世界最初に性転換手術を無料で行う国となった。1980年には、ホモセクシャルであるからという理由で企業人や公務員を差別してはいけないという法律ができた。1995年に、同性のパートナーをほぼ婚姻相手として登録できるパートナーシップ法が制定された。1999年にはホモセクシュアルの権利を守るべくホモオムブズマンが設置された。2006年に就学前学校・基礎学校・高校の生徒に対して、性別によって、あるいは性的マイノリティーに属すからといって差別してはいけないという法律ができた。2009年、同性の結婚が認められるようになった。社会庁が性同一障害は病気ではないと認め、リストから外した。

具体的な例として、基礎学校における性教育を挙げよう。性教育は上記RFSLが学校から委託されて講師を派遣し、生徒を男女別に分けてグループ・ディスカッションを行うことが一般的だ。男女別にするのは、混合だと自由な、活発な発言が出てこないからだそうだ。そして性同一障害の生徒に関しては、自分が好きな方のグループに参加して良いことになっている。「一般の生徒」からの反発はないのかときいたところ、彼らあるいは彼女らは早い段階でカミングアウトしているので、外見が異なっていても生徒たちに広く受け入れられている、とのことだった。

同性愛婚をする有名人も多い。世界的なスキー選手だったアニヤ・ペーションは同性のパートナーと結婚し、子どもまで設けている(2005年に女性同士のパートナーシップにおける人工授精を認める法律ができた)。歌手や著名作家やテレビタレントなど同性のパートナーをもつ人もごく普通に受け入れられている。

近年の動向として注目されるのは、HBT(HBTQ)認証というマークを導入する機関が増えてきたことだ。これは上記のRFSLが2008年から導入したもので、性的マイノリティーの人が働きやすい労働環境整備を行っているというところにマークを支給するものである。職員全員がHBTQについての知識を有し(研修を受け)、アクティブに彼らが働きやすいように努める、などの基準を満たしているかどうかで判断される。各地の公共施設で認証が広がっている。最近ではストックホルム郊外ソルナ市の市立図書館が認証を得たとTV報道されていた。昨年、日本のデレゲーションをストックホルム郊外の保育施設にお連れしたときに、そこの代表者が「ここはストックホルムで最初にHBT認証を受けた保育所です」と誇らしげに説明されたのだが、日本側はよくわからなかったようだった。日本ではまだまだそこまでいっていないのだろう。

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HBT認証マーク

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