COLUMN

2011.02.01中野 善浩

シリーズ「人と機械の相性」#5機械を好きになる能力、嫌いになる気分

 数年前に、映画化された『東京タワー』。原作は江國香織さんで、主演女優は黒木瞳さん。いわゆるトレンディ・ドラマで、物語の主人公は「詩史」というアラフォー女性。彼女は男子大学生「透」と付き合っている。物語の冒頭で、携帯電話を持ちたいと言い出す透を、詩史がたしなめる。
「よしなさいよ。なんとなく軽薄だわ」
『東京タワー』が出版されたのは2001年。物語の舞台はおそらく1990年代前半である。いろいろな理由から、当時は携帯電話を使うことを、むしろ嫌悪する人が多かった。作者は、魅力的で良識ある大人の女性に、そう語らせた。共感できた人も多かったはずである。

 ところが、いまや携帯電話は生活必需品。持っていないと天邪鬼と見られることもある。高齢の人々にも広がり、孫と携帯メールをやり取りする人たちも珍しくない。1990年代前半にあった嫌悪感はすっかり忘れ去られた。短期間で、人は携帯電話の小さなキーボードでの入力方法を身につけ、そして携帯電話が使用される状況を許容するようになった。携帯電話は進化し、いっぽう人も変化し、認識を改めた。

 以前は嫌悪されていたものが、どうして10年ほどで広く支持されるようになったのか。それは基本性能の大幅向上に負うところ大きいと思う。どこでも利用できるようになり、送受信できる情報量も増え、コストが格段に小さくなってきた。大きな利便が得られるなら、違和感のあるものでも、人は使い方を学んでゆく。それで行動の自由になるなら、なおさらである。もちろんユーザインターフェースの改善などで、機械の方も人間に寄り添ってきた。ただし、基本性能の大幅向上があったからこそ、機械を使いたいという意欲が喚起され、人はみずから変わり、機械との相性を感情的にも高めてきた。

 携帯電話ほど急激ではなかったが、同じような変化は他にもあった。例えば、1970年頃の日本では、電子レンジは手抜き料理を助長する道具と見られ、評判も芳しくなかった。しかし、電子レンジは着実に調理機能を高めてきた。そして、いまでは普及率も100%近くに達し、省エネ性能に優れ、健康的な調理にも役立つとされている。ときに、人は、手の平を返すような態度をとる。

 反対に、性能が高いにもかかわらず、短期間で嫌悪感を持たれてしまうこともある。例えば、数年前に東京の商業施設の回転ドアで死亡事故が発生した。事故の原因は、回転ドアの機構より、むしろ管理者側の対処に問題があった。ところが事故が大きく報道されたこともあり、全国各地の回転ドアは次々と撤去され、スライド式ドアなどに置き換えられていった。高い評価から、いったん嫌悪されると、その回復は容易ではない。従来タイプの回転ドアでは、今後、大幅な性能向上はありえないだろうから、イメージの挽回余地も小さいと思う。

 簡単に操作でき、安全であることが機械にとって必要条件である。しかし、機械が人間をひきつける最大の要因が基本性能の向上だろう。量や速度、力、精度など、それぞれの機械に要求される性能は多様であるが、向上の余地が多くあるとしたら、その機械は、人間に好きになってもらえる可能性がある。当初は嫌悪されていても、やがて好きになってもらえる。
 昨年夏、大手通信キャリアが30年ビジョンを公表し、そのなかで西暦2300年には日本人の平均寿命は200歳にまで伸びるという予測を示していた。人間の肉体の劣化は避けられず、200歳まで生きるには、多くの人工物、機械で代替することが必要になるだろう。いま現在、個人的には違和感があるけれど、それが好まれる時代がやってくるかもしれない。
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