研究員コラム

2003.09.01中間 真一

「不思議(?)」と「驚き(!)」のシャワー-子どもたちに伝えたい科学の感性-

 8月18日から4日間、HRIでは今年もサイエンス・ワークショップ『理のてら子屋』を開いた。今年のテーマは、「流れる」である。空気の流れ、水の流れ、電気の流れ、光の流れ、時間の流れ、情報の流れ、モノの流れ、お金の流れ、人の流れ。私は、生きる場とは、流れのある場だと考えている。だから、このテーマをぜひ手がけてみたかった。しかし、際限なく広がり、一つ一つが奥行きのあるこのテーマを、小学3年生から中学1年生までの子どもたちに対して、どのように切り取って、どのように味わってもらうのが良いのか、それが大きな問題だった。

 千葉県立現代産業科学館の松丸敏和先生に相談し、「水」、「空気」、「電気」の流れを中心としたプログラムが編成された。小学生に「流れ」をどこまで深く伝えられるのか、伝えるべきなのか迷った。その結果、中途半端に深みをのぞいて、子どもたちに難しさだけが残るようなことのないよう、素直で無邪気な子どもたちの感性に、不思議「?」と驚き「!」を、可能な限りストレートに伝えようという結論に至った。

 初日、子どもたちは好奇心をいっぱいにため込んで、会場の風の谷幼稚園にやって来た。みんなの期待に応えられるかどうか、開始直前は仕掛人の緊張のピークだ。さあ、始まった。ロウソクの炎の上で、風車が回り始めた。子どもたちの沈黙と注視、「あっ、回った!」、みんなの瞳に炎の上で回る風車が写しこまれる。さあ、子どもたちの「?」と「!」のお祭りの口火が切られた。

 それでは、今度は自分で作ってみよう。紙コップの底に小さな丸い穴を開け、上側をガムテープで覆えば、簡単な空気砲の完成だ。コップの中を線香の煙で満たし、穴を上に向けて底を軽く叩くと、煙は小さなドーナッツの形となって、クルクルと上っていく。みんな、不思議だけれど可愛らしい煙のドーナッツを見上げて満足そうだ。「穴の形を変えたら、どんな煙になるだろう?」、それぞれに好きな形の穴を開けて、もうひとつ作り始める。星型、ハート型、みんな上がっていく煙の形を想像しながら、好きな形の穴を開ける。しかし、どんな穴を開けても、煙はドーナッツ型だ。ここで、現象を理論で説明はしない。「なんでだろう」疑問を子どもたちの心に余韻として残したまま、次の実験に移っていく。これが、私たちの「理のてら子屋」の進め方だ。

 「あれっ?」、「うわっ」の連続で、次々に子どもたちの目の前で実験が繰り広げられていく。そして、よく飛ぶ飛行機や、ちゃんと自分のとこに戻るブーメラン、きれいな光ファイバーオブジェ、材料をぜいたくに使う工作で、「やったー!」「すっげー」を楽しむ。てら子屋が、子どもたちへ送る科学のメッセージは、「驚き(!)」と「不思議(?)」に徹するのだ。

 こうして、てら子屋の4日間は、一方的に子どもたちに不思議と驚きを浴びせ続けて終わった。後片付けをしていた私に、一人の子が言った。「梅干が電池の代わりになるなら、電池の中身も酸っぱいの?」私はこの質問がうれしかった。また、「あたためられて上っていった空気は、冷めるとまた降りてくるの?どこかに、空の天井があるの?」私は、これらの言葉をもらっただけで十分に満足だった。シャケが、川を下り大海に出て、再び戻ってくるように、子どもたちも不思議を抱えたまま育ち、いつの日にか、その疑問を解決するために戻ってくることを夢見るばかりだ。

 自然や科学、技術に対する、不思議や驚きの感度が鈍ってきたと思うのは、私だけだろうか。高度な技術とソフトウェアは、身の回りの不思議を次々に圧縮し、シールドして、周囲の自然と連続するものでなく、隔離してしまう方向にあるように思う。一方、基礎的な科学の知識は、情報と化してしまい、知っているか知らないかだけが価値基準となりつつある。私自身、もはや技術者とは言えないが、工場で目の当たりにしてきた技術のすばらしさに心を打たれたことを忘れられず、未来社会を考えるには、科学・技術への子どもたちの感性を育むことに大きな価値があると確信している。そして、その科学・技術は、自然と密接につながっているものであり、その驚きや美しさは、アートにつながっていると思う。自然・科学・技術・アート、これらは別物ではない。これらのつながりの中から、未来への感性を育めればと思う。
(中間 真一)
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