研究員コラム

2009.09.01中間 真一

新世界より~変わった先にあるはずの自律社会~

 衆議院総選挙の結果は、程度の差はあれ多くの人の予想どおりであっただろう。窒息寸前の閉塞感を充満させていた風船が一気に弾け散ったような現状否定の結果だった。変化を避けて安定した成長社会を取り戻すか、まだ見ぬ変化の先に安定を目指すために先ずは変化なのか、そんな二者択一のような選挙だった。結果は変化を選び取ったわけだが、その先の未来はどうだろう?未来への期待、未来という新世界のイメージを私たちは描けているだろうか?

「未来」をイメージしきれずにいるもどかしさ、そんな時代の気分が世の中を分厚く覆っている。なぜだろう?その一つの原因は、現在からたどって未来を描こうとする「フォーキャスティング」の道筋と、あるべき未来、あらねばならない未来から現在へとたどって道筋を描こうとする「バックキャスティング」の道筋が、うまく重なり合わないことに多くの人々が気づいてしまっているからではないだろうか。

 現在発で明るい未来の道筋を伸ばそうとすれば、やはり「経済成長」なしには考えにくくなる。だから、今回の選挙でも「拡大」、「成長」、「向上」、こんな言葉が並ぶ未来への道筋が語られた。一方、もはやみんなが「あるべき未来」、「確かな未来」のことも知り始めている。その最たるものが「環境」や「資源」、「人口」などの問題だろう。2050年のあるべき温室効果ガス排出量目標、推定資源埋蔵量、人口や社会の年齢構成などからたどる未来と現在を結ぶ道筋、それは決して「拡大」、「成長」、「向上」と容易に重なるものとは言えない。暮らしを豊かにしたいのに、今までにないものを考え、今までよりもたくさん作って、今までよりもたくさん売って、今までよりもたくさん儲けるというシナリオがあてはまらなくなってしまっていることに気づいてしまったことが悲劇の始まりではなかろうか。政治も経済もそこから抜け出すイメージを描ききれずに、未来から降りてくる道筋への合流は先送りにして、これまでどおりに「あるはず」の目の前の道へと突進しようとしているような気がする。そこが、道ではなく、谷底かもしれないのに。

 未来を先送りするか、先取りするか、今という時代はまさにこの選択を迫られている大転換の時代だ。オムロンが1970年からずっと未来への羅針盤としてきているSINIC理論の予測でも、ちょうど今という時期が工業社会からの大転換の時代に位置づけられている。それは、人間がより人間らしく生きる「自律社会」、そして「自然社会」への大転換による混沌の時代「最適化社会」だ。そのような道筋を前提として、HRIでは未来の先取り、未来への兆しづくりを手がけ、経済危機に見舞われるたびに行く手を阻まれつつも、なんとか今まで手がけ続けてきた。

「自律社会」、このコラムを読んでいただいているみなさんは、どんな未来社会をイメージされるだろう?私たちも、この設問への解を探し求め続けてきたが、来年はHRI創設から20年目を迎えることになる。これまでも、節目節目でHRIの描く未来社会を世に問うてきたが、20年間の私たちの試行錯誤も含め、多くのみなさんと新世界としての「自律社会」についてやりとりさせていただき、よりはっきりした姿でイメージに表したいと考えているところだ。これまで「HRIが描き、手がける未来は、いつも少し時期が早すぎる。もう少し待てばタイミングがいいのに」と、先取りのタイミングが早すぎるという指摘を受け続けてきた。しかし、政治、経済、産業、生活、周囲を見渡して実感できるとおり、もはや機は熟した。自信をもって「自律社会」を描き出す2010年に向かいたい。

 そんなことを思っていた矢先に、知人に勧められて手にした本がある。コンピュータ・コミュニケーションの研究者で慶応義塾大学の斉藤賢爾さんの『不思議の国のNEO』(太郎次郎社エディタス)。今年の5月に発刊になった本だから、すでにご存知の方もいるだろう。私は、読み進めるほどに、「こりゃ、やられた!」という気持ちでいっぱいになった。まさに私にとっては「究極の自律社会を描き出した」一冊として素晴らしい作品だ。主人公は小学校入学前の女の子のあっちゃんこ、彼女らが繰り広げる新世界紀行とでも言うべき内容だ。自由と安心は、信用によって両立可能なんだと思えてくる。「真ん中」は要らない社会なども含め、実現可能なのかユートピアなのか考えるとクラクラしてくるが、話は進んでいく。スウェーデンで調査を続けてきているHRIも、スットコホルム研究所レベルを目標にしたいものだ。そして、挿絵もいい。とにかく、読みやすいけれど含意の深遠な本だ。

 変わった先にあるはずの世の中、それは今のところ「不思議の国」とか「ユートピア」とか言われてしまうかもしれないが、それを描き出して、誰もが気持ちよく安心して感じたり考えられるような未来の提示をしたいものだ。そうでないと、危なっかしくて未来への橋を渡れない。できることなら、ドヴォルザークが新世界アメリカから、故郷のボヘミアに向けたメッセージを素晴らしいシンフォニーに仕立てたように。
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